映画「誤審」1964,日本シネフィルム(若松孝二監督)ロケ中、手錠でつながった二人の俳優、高須賀忍、赤尾関三蔵、が川に流された死亡事故


 映画ロケ中の死亡事故、制作会社は「日本シネフィルム」と
いう独立の映画製作会社、場末の映画館に作品を提供していた。
制作費は安い、この「誤審」でも制作費は現在と物価は異なる
が300万円だったという。それまでお色気路線の映画が多く、
「300万円エロダクション」なる蔑称を浴びせられていたとい
う。^まともに金をかけていたのでは到底、採算に合わない。
さらに当時の映画を取り巻く状況は、特に邦画は斜陽を通り越
して日没というほどの危機的状況だった。当時は映画館は三本
だて、なる興行様式で大手が制作を減らす状況で三本目の映画
に、という立ち位置だった。日本シネフィルムは1962年の設立、
社員数は10人を超える程度、若松孝二監督のお色気路線でほぼ
月一本の割合で映画を制作配給していた。「誤審」はそれまで
のお色気路線を捨て去り、アクションもの、ということだった
が、これがロケ現場でもとんでもない拙速に通じた。  

 手錠で手首を繋がれた二人の犯人が、護送中の列車から逃亡
し、トンネルや林を抜けて谷あり山ありの渓流を渡るシーン、
川を手錠でつながって渡るのだから危険である。地元の人も
その無謀さに驚いた。でその犯人役は当時の芸名が高須賀忍(33)
、赤尾関三蔵(36)ともに姓が三文字の芸名、高須賀はテレビドラ
ま「柔道一代」の柘植尚佐久役で知られ、179cmと当時としては
かなりの長身、赤尾関もあの「隠密剣士」の風魔一族のカシラの
役、顔なら皆がよく知っている俳優だったという。赤尾関も173
cm、75kg、真冬に川に飛び込むなど体当たりの演技を行い、「
危険を恐れぬ男」との定評があった。

 ロケ現場が福島県の会津若松市から南に25kmほど、当時の会
津滝ノ原線の桑原駅から500mほどの渓流だった。午前中にトン
ネルや林のシーンの撮影を行い、渓流での撮影は1964年9月30日、
午後2時過ぎだった。

 高須賀はクツを抜いて靴下のまま、赤尾関は地下足袋で川に
入った。地元の人の話では最低でも地下足袋ではいらねば滑って
転倒は免れないということだったが、一人が靴下である。右手首
、手錠で繋がって川に入り、10mほどはいって高須賀がぐらつき、
滑った。そのままのめるように、川の深みにハマり、赤尾関の体
も引きずられて深みにはまった。

 まだカメラは回っていなかった、なら練習だったのかどうか。
若松監督とカメラマンはカメラの位置を決めようと相談中だっ
た、とスタッフはいうが事実かどうか。疑問が残る。見物人は数
人いたがロケと思い、誰も事故と思わなかった。急変に気づき、監
督や助監督らスタッフが数人、川に飛び込んだが、流れは早く、二
人は一度は浮かび上がったが、また流された。それっきり見えなく
なった。

 証言ではロケ隊の宿泊の旅館の女将さんは

 「亡くなったお二人は、あの朝、川なんかに入りたくない、まし
て手錠でつながってなんか。でも監督が怒るからな、思い切って
入るしかない」

 と云っていたという。

 若松監督

 「ぼくは浅瀬でやってくれと云ったんだ。浅瀬のほうが石に飛沫
がたって見栄えがするから、と。でも二人が最初、浅瀬に入って
迫力がないからもっと深い所でやらせてくれ、というので場所を
変えたまでです。まず助監督が裸になって川に入って、深さを測っ
た。ロープは用意していたが危険な感じはなかった。手錠ははめな
いで手に持ち、しゃがんだシーンを撮ることになっていたんだが。
二人が川に入るのを嫌がっていた?それは全然ない。二人とは長い
個人的付き合いもあるし、二人は10年前、東京映画で知り合った仲
で、ものすごく張り切っていた。二人ともいい出したらあとに引か
ないんだ。ぼくも若造だし、俳優も安いギャラでやってるんだから、
監督の権威を振る舞わすなんてできませんよ。・・・・・」

 などと自己弁護はしていたが、若松孝二監督もショックは隠せな
かった。ロケ先の待遇も旅館代などケチっていなかったという。こ
のロケに参加していた俳優の寺島幹男は

 「酷使とか無理があった、というなら私も俳優だから黙ってませ
んよ。今回の事故はただ不運が重なっただけです。見ていて危険は
感じられなかった」

 という。だが私見だが知らない川に入る、川の中はわからない、
深みもわからない、その前、一週間は雨で水かさが増していたと
いう。そんな日に、わざわざ川に入るなど非常識だろう。川の石
はミズゴケが付着し、滑りやすい。それを靴下で入るなど論外と
いうもの。「見ていけ危険でなかった」は無知の産物というほか
ない。地元の人が「川はうわべでは分からない。いきなり来て入
るなんて」と唖然だったというが。

 川を渡るシーンと言って実際に渡る必要はなくシーンを撮影すれ
ばいいだけだろう。

 当時、国際映画にいた曽根義隆は若松監督や他の俳優の言い方に
非常に疑問を感じたという。

 ①台本を読んで非常につまらない映画だと感じた。だから監督も
スリリングなシーンを作らないと、と苦労したのだろう。あえて冒
険も必要とはなるが、それも安全を確保しての話だろう。

 ②助監督に深さを測らせた?聞けば、助監督は俳優では飯が食え
ず、商売替えしたひとだそうだ。助監督には俳優の命を守る義務が
ある。スタッフのレベルの低さは否めない。

 ③そのつど、若いスタッフと契約し、任せっきり、会社は金のこ
としか考えない。難しくもなんでもない、この体制が事故を生んだ
だけでしょう。

  川に入る直前の左:赤尾関三蔵、右:高須賀忍

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この記事へのコメント

空飛ぶアカエイ
2025年04月21日 22:55
すみません突然の質問で失礼します

手錠で繋がれた二人が川を、、という場面で

「網走番外地」を連想してしまいますが

映画「誤審」のストーリーや内容との関連性はあるのでしょうか
ポコアポコ3578
2025年04月22日 15:38

>空飛ぶアカエイさん
>
>すみません突然の質問で失礼します
>
>手錠で繋がれた二人が川を、、という場面で
>
>「網走番外地」を連想してしまいますが
>
>映画「誤審」のストーリーや内容との関連性はあるのでしょうか

全然、関連はないです。