尾崎秀樹『文壇うちそと』1975,なんとも貴重で面白くもない逸話がびっしり、の文壇史

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 尾崎秀樹さん、1928~1999,「おざきほっき」と読む。あの
ゾルゲ事件の尾崎秀実の異母弟、ゾルゲ事件研究で著名だが、
本来の領域は文学である。大衆文学を中心にして評論活動を行
い、日本ペンクラブ会長も歴任した。で、その本来の領域の中
の特に中心の大衆文学をメインにした文壇史である。「1966年
の『大衆文学論』を補填するような内容とも言える。

 そこでこの本、筑摩書房から刊行された。およそ、初めて
知るような話、エピソードが満載である。

 内容は山中峯太郎、は雑誌「少年倶楽部」で人気作家となっ
たが、それ以前は「主婦の友」で多くのペンネームを使い、
多くの作品を書いた。その中の一つ『霊界放送』では、三条信
子なる女性霊媒師を主人公にして、心中で話題をまいた有島武
郎の霊を呼び出し、質疑を行うなど結構、人気となった。そう
したら警視庁からある迷宮入り事件の解決に協力してほしい、
という申し出を受け、作品の連載を中止したとか。

 橘外男の父親は軍人であり、高崎連隊長の連隊長をしていた
こともあったが、それが間違って伝えられ、軍神、橘大隊長の
息子だということになった。木村毅や十返肇まで信じていた。

 大正11年、1922年に「週刊朝日」が創刊される際に、大阪
朝日社会部から引き抜かれて移動したのが土師清二。最初は「旬
刊朝日」という名前だったとか、

 尾崎士郎は昭和初年、大森に住んでいた頃のことを『「空想
部落」に書いていて、文士村の観を呈していた大森で多くの文
士がでてくるが住んでいたが山本周五郎だけは出てこない。そ
れは周五郎が「絶対に書くな」と釘を差していたからだ、とい
う。

 など、数多くの、正直、今となっては馴染がない大衆作家も
含め、あまりお世辞にも面白くもない話が目白多しなのだ。

 よくぞこれだけ集めたと呆れるようなものだが、伊藤整など
の『日本文壇史』という純文学のみの陰気、地味な文壇史に全
くかけている部分を補っているわけである。尾崎秀樹は実際、
大衆文学評論が真骨頂であり、大衆文学を語る際の語り口が、
また非常にくつろいでいるというのか、気取らぬ筆致である。
いかに大衆文学を愛した方か、と思わせるものだ。
 
 方法論的には観念的に知識人の視点からではなく、徹頭徹尾
、庶民の精神に沿ったものである。どこまでも具体的にものを
捉えようというもので、実は文学史を語る際に、このスタンス
は珍しいとも言える。

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