水木しげる『娘に語るお父さんの戦記』1975,実に庶民に徹した感銘深い戦記、児童文学の名作

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 水木しげるさんの戦争体験、もう今やよく知られていて、
こと改めてくどくど紹介しなくてもいいが、まさしくその
水木さんの戦争体験が本書の内容だ。何よりもすべての根
底にあるのは水木さんの人間性、キャラクターだ。絵画の
天才にしてまさしく庶民の視点、である。要領よく社会を
行きていく、特にビジネス社会などには完全に不適、自ら
の世界を大切に、それが世間の波長と一致しなくても、そ
れは寧ろ誇りというもの、境港で幼少から育ち、のんのん
バアなどの郷土色豊か、というのか、早くからまた天才的
画家という評価を得ていた。すべてがマイペース、画才は
素晴らしく、美術学校で教育されて、というレベルではな
かった。

 大阪で就職したが、万事にマイペースで会社、商売には
向かずクビになる。1943年に応召、陸軍兵士に、ニュー
ブリテン島のラバウル基地近くに。

 下級兵氏としてラバウルの周囲の前線に配置される。兵士
としては以前の会社と同じでヘマばかりやって殴られてばか
る。何度も生命の危機にさらされる。ニューブリテン島にも
敵軍は上陸してきている。ラバウルを遠く離れて最前線に派
遣されるが、敵軍の奇襲攻撃、水木さん以外、全員戦死、水
木さんはとっさに海に飛び込み、そこからまたジャングルを
歩き、絶壁をよじのぼるなど、悪戦苦闘の挙げ句、基地に帰
還するが上官は「他の兵士は皆死んだんだ、お前だけに逃げ
やがって、お前も死ね」と罵倒される。

 そうこうしてマラリヤに感染、寝ていると空襲にあって左
腕を失う。

 野戦病院に入院中から原住民と親しくなった。近くの「土人」
の村人と暮らし、天国のような生活を送ることになる。ここで
使われる「土人」とは確かに古来、日本人が原住民への侮蔑を
込めての差別用語だったが、水木さんによれば「原住民」とい
うと「東南アジア」の人々のようで、どうにも感じが出ない、
というのだ。この辺りはカナカ族という原住民でまさhしく「
土の民」という、自然の中で行きていたという。カナカ族の人
たちといっしょに踊ったり、芋を作り、親愛の情を深めていた
が終戦。そこでカナカ族の人たちは水木さんにぜひ、現地に残
ってほしいと懇願された。現地除隊も真剣に考えたが、上官た
地に帰国を説得されて帰国。「また戻ってくうr」と原住民に
約束していたが、帰国後、30年後、この本の刊行前に訪問、約
束を果たされた。

 戦記物だが、じつにやさしい言葉で語られている。水木さんの
お人柄そのものだ。常に漫画家らしいユーモアに満ちている。同
時に軍隊のあまりの理不尽さ、戦争の非人道性、文明人と原住民
との対比もしっかり述べられている。帰国後、貧乏生活、漫画家
名の「水木」は神戸の「水木通り」から、あそこ以外に水木とい
う名称はないと思う。下積みの、庶民の人生、ただの庶民ではな
く天才的画家、なのだが生きるために貸本漫画家へ、そこからが
スタートとなった。本当に、しみじみとした味わいである。

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