塙英夫『背教徒』1953,筑摩書房、芥川賞候補、多くの要素を込めた総合的「満州帰還」小説、木山捷平「大陸の細道」と対称的
忘れられた作家かもしれない。1912~1988,基本は左翼活
動家であり、作家、翻訳活動などを行った。本名は塙正、千葉
県の匝瑳(そうさ)中学から旧制一高へ、そこで伊藤律らと政治
活動、それは当時、非合法であり、1931年、校友会雑誌への
寄稿した文章で検挙され、一高中退。満州にわたり、ハルビン
地方興農合作社理事に就任、その傍ら、創作活動を行う。終戦
後は満州からの引揚者の手助けを行い、1947年に帰国。そのと
きの経験を描いた『背教徒』で芥川賞候補になる。また同じ年
に『すべて世はこともなし』で再び、芥川賞候補、『自由の樹』4
1956,1953年までに『アルカリ地帯』、『糸車』、『群虹』、
『ソドムの族』など1989年に『みとせの春』・・・・・なお満
州でも検挙され、奉天で投獄されている。なお塙英夫は「はな
わ・ふさお」と読むらしい。

以上のような基礎知識の下で、この作品。古書中の古書で流通
はごくごく少ない。
内容は、佐伯は戦前、思想犯で満州で検挙され、刑務所で暮ら
している。獄中にな何人もの同志がいた。さらに抗日運動の朝鮮
人も数多くいる。
佐伯には妻がいる。妻の名は藍子、藍子は夫の留守を守りなが
ら、勤務先を見つけ、自活している。ある日、刑務所で、食事前
に囚人たちが起立させられ、よくわからない内地のラジオ放送を
聞かされる。それは無条件降伏のラジオ放送だった。だが真相は
容易に把握できなかった。それはほどなく、明らかになったが、
外ではすでに長年の日本の支配、弾圧に憤る中国人の襲撃が始ま
っていた。
佐伯にとっては、結局、敗戦は解放であって釈放された。長春
にでて妻と会い。かっての同志たちと連絡もついた。いよいよ、
出番という意識が沸き起こる。出獄したコミュニストたちは、す
ぐに運動を始めようとする。そこには本物もいれば偽物もいるの
だ。彼らを裏切った建築士の清川のようなスパイもいる。
ソ連兵はいつ入ってくるのか、ソ連の将兵の態度もまだ明らか
ではない。出獄のコミュニストたちも、しばしば脅される。同志
の間でも勢力争いが始まり、野心家も生まれる。新しく、反ファ
ッショ運動に加わった若者もいる。
だが佐伯は内面で悩んでいた。まず、彼はひたむきな情熱を失
いかけていた。もう職業的運動家とは縁遠い。互いに利用しあっ
たり、在留の邦人と対立することに疑問を感じていた。清川は最
初はともに行動したが、徐々に本性をあらわにしてきた。佐伯は
ソ連軍の命令で清川の捕縛に向かわされる。そのようにソ連軍の
下で行動しているうちに、また行動的になっていくが、もうひと
つの秘めたる悩みは獄中で不能となった妻の欲求に応えられない
ことであった。
その後、満州はソ連軍以外に、国民党と中国共産党の内戦が始
まった。その間で佐伯は中共地区で邦人への工作を行い始めた。
一時別れた妻の藍子も西安にやってきた。佐伯は妻も運動に加わ
らせようとするが、すでに運動自体に気持ちが冷めてきており、
表向きは幹部として活動をしつつも、心に背教徒が潜んでいた
のである。佐伯の性欲は回復の一途、未亡人への欲求も感じるな
ど、動揺は深まる。だが中共軍の満州指揮官の龍将軍に真の革命
家像を見出して、満州に永住の決意をするが、将軍も去って、同
志の対立が深くなると政治への憎しみも湧いて、帰国の決断をす
る。心の中の背教徒が勝利を収めたの。安東に出て龍将軍から預
かった拳銃を返そうとしたら、すでに将軍は志望と知り、茫然と
する。
小説で満州体験、その帰国への経緯を述べた作品は多い。まった
く異質だが、木山捷平の『大陸の細道』と比べたら、迫真度は比較
にならず高い。プチブルインテリの民族的偏向、残留邦人帰還問題
、さらにさらに愛と性欲の問題も込めて満州物では全く総合的!な
ものである。
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