あゝ、日本人は国を超えた声援がなぜ送れない?国家意識を離れてスポーツはないのか?
パリ五輪が開幕した。いまさら日本の金メダルが何個、など
とメダル競争もないとも思うが、現実、日本人の意識はさほど
昔と変わらないようだ。日本人選手の出場の競技を実況の日本
人アナウンサーだが、まさしく絶叫だ。昔、ベルリン大会で「
前畑、頑張れ、ー頑張れ、頑張れ」と基本的には変わらない。
この前畑実況に周囲の外国人は眉をひそめたという。
日本人が相変わらず非常なオリンピック好きというのは、つ
まり「日本」、「日本人選手」を応援したい、という国家主義
的な心情がその基礎にあると思うしかない。「国別対抗」とい
う大会にあまりにも興奮すると思える。国家主義的な性格が
希薄なスポーツ大会にはさほど熱狂しない。
といってスポーツに国家主義、ナショナリズム意識のとりこに
なるのは別に日本人に限った話ではない、と云うならその通り
である。だからこそ、オリンピックが浅ましいナショナリズム
の狂宴になっているのだが、これではスポーツ大会など行う意
義より弊害が遥かに大きいのは言うまでもない。
別にオリンピックに限らず、野球のWBCに以上な興奮、メディ
ア大報道も日本だけの現象である。そこに「国別対抗」という「
国家主義的要素」があれば非常な興奮、まだメディアが大報道を
行う、別にこれはプロボクシングでも同じである。そこに「国」
の対抗、国家意識の発露をもって見るわけだ。だからプロボクシ
ングで相手の日本以外の選手への応援声援が日本人から送られる
ことはほぼない、絶対にないようである。「相手の選手の健闘に
も声援を送ったら」というと「変わり者、ひねくれ者」と呼ばれ
る。WBCにあれほど大興奮し、メディアも大報道の国など日本以
外にはないだろう。
私は国という意識を取っ払い、すべての選手を平等に応援し、
声援したいと思うが、そうしたいというと日本では変人扱いを
超えてキチガイ扱いされかねない。この日本では日本人はスポー
ツ競技では、ただ日本人に対してのみ熱狂的声援を送る、とい
うわけである。それを当然視している社会である。
こう云うと「日本が本当はキライなのだろう」と言われそう
だが、確かに「絶対に日本人にしか声援を送らない、応援しない
という日本、日本人」は好ましいとは思えない。参加する選手、
国籍、国家を超えた健闘、好プレー、妙技への惜しまない声援
を送りたい、端的に言うなら「国」というものは忘れたい、現
代人はあまりに国家にこだわりすぎている。
オリンピックがあまりに国家主義を張り合う場に成り果てて
いるのは、もはやスポーツの祭典とは言い難い。望まれるのは
限りないコスモポリタンの平等性である。プロ個人スポーツで
も同じことだ、素晴らしいプレー、健闘、フェアなスポーツ精
神んは国など関係ない、惜しまない声援を送るべきだ。絶対に
自国の選手しか応援しないというなら、オリンピックなど行う
べきではない。
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