『老いてこそ学べ』遠藤周作生誕90周年記念企画、遊びの精神こそ真の学び、学校秀才クソクラエ
遠藤周作さんは1923年のお生まれ、亡くなられたのが1993
年、享年73歳、でその生誕90周年を記念して、だから2013年
ということだろう、『老いてこそ学べ』とその他にも、多分、
なのだが同じ企画ともうが『私は私、これでよし』、『人生
ぐうたらに徹すべし』、そのタイトルに沿った趣旨のエッセ
イを集めた本が刊行されている。
そこでその中の『老いてこそ学べ』、ちょっと、このタイト
ル、周作さんの茶目っ気にちょっとそぐわない感じもある。
だいたい70歳前からのことを、「老いて」というのもちょっ
とおかしい、無論、周作さんがつけたタイトルじゃないが。
このタイトル、周作さんなら絶対につけないだろうと思う。ま
ず「老いて」がどうにも引っかかるし、強いて「学ぶ」と云う
言い方も周作さんにはちょっと似合わない、学べどもそれは真
剣な遊びの精神、ということだろうか。とにかく何才になろう
と遠慮なく学ぶ、それが学校で学ばされるの対極の学び方であ
ろう。
ピアノでも囲碁でもダンスでも、歌唱でも音痴ばかりの合唱
団を創設したり、劇団「樹座」を創立、学べども遊びの精神、
遊びの精神だからこそ真剣なのだ、堅苦しくなく、である。
学びと遊びが、いやみな云い方になるが止揚される、という
べきだろう。おふざけなれど真剣、真剣なれど、おふざけ、そ
れこそが学び、学校劣等生であったことは私も周作さんと同じ
かそれ以上、そのつらさも身にしみるが学校教育、大学での試
験は大キライであるが、真の学びは学校の外にあると私も信じ
ているのだ。
老いて?全然私は老いているとも思わないが、年齢の数だけ
は増加である。たかが二桁の数字など瞬時である。それで、し
っかり学べ、要領よく試験でいい点をとってキャリアにもスキ
がない、なんて人は私には関係ない。ムダの彷徨、遊びの心で
知的探究心、学校なんかクソクラエ、・・・・・なのだ。
周作さんはしかし稀代の文学の才能があられた。ノーベル文
学賞候補にも、そんな及びもつかぬ才能は私にはないが、私と
て学ぶ以外にない。なぜ?だって今まで何も学んでないのだか
から、大河の一滴すら学んでいない、老いても何も、今まで何
も学んでないに等しい。学校や受験勉強での学びなど、学びに
値しない。自主的な遊びの精神で、・・・周作さんの骨法を会
得したいと思う。
樹座の忘年会で
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