石油化学物質なくして半導体も原発もEVも何もあり得ない。「脱炭素アイテム」もすべて石油資源の掌で舞う存在
もう夏が暑いの大報道、まあ、暑いは暑い、「日本は熱帯
になった」とか、熱帯は一年中暑いのが熱帯であり、夏が暑
いだけでは熱帯ではなく、気候変動でもない、まあ常識なの
だが日本の、まあ世界がその潮流だが、私は新型コロナ騒ぎ
、「人類の洗脳可能」が試されたと。そこで、タイミングよ
く酷暑の夏、・・・・・「脱炭素」の大合唱は強まるばかり、
CO2憎悪でその構成要素の「炭素」憎悪だが、もう一つの構
成要素「酸素」はおくびにも出さない。植物によるCO2利用
による太陽エネルギー貯蔵がすべての栄養の出発点であるが、
その光合成を憎悪するかのようだ。その必須要素CO2,また日
本独自かもしれないが「糖質」憎悪、でも水の憎悪はまだ生
じておらず酸素憎悪も生じないだろう、・・・・何が云いた
い、現在の既成メディアの咆哮する大衆操作の矛盾と欺瞞で
ある。
「だから脱炭素」とはいうが、では中世の質素な生活に戻り
ましょう、とは欧米人も云っていない。どこまでも贅を尽くす
生活を維持しようと試みる。そこで脱炭素アイテム!を続々
、また原発推進、ソーラーパネル、風力などで「気候変動を
防ぎ、快適な生活を」ということだろう。
だが石油エネルギー濫用の時代はごくごく新しい。人類の
長い歴史を考えればほぼバイオマス利用であった。それから
近代になってやっと石炭の利用、その後、「エネルギー革命」
として石油へ、だが基本、石炭と石油は同類である。だが単位
質量あたりのエネルギーは石炭より石油が50%ほど多い。石炭
火力は液化して石炭を利用だが、それでも石油のポテンシャル
には及ばない。
だが全て「エネルギー」で問題を論じることはおよそ無意味
である。石油エネルギーでなければ解決しないものが多いので
ある。
この世で価値があるのは「CO2を排出しないこと」だけ、そ
れが地球と人類を救う、という超ドグマで世界(欧米西側と中国
が中心)が突っ走ってメディアはそのプロパガンダに余念がない、
という奇妙な状態で洗脳、大衆操作は酷暑利用で完全に成功し
ているようだ。
だからグレタ、IEAなど新規の石油油田開発に融資するな、な
どと運動している、わけであるが、これは石油の本質を見誤った
ものだ。
確かに石油エネルギーはエネルギー源としては比類ない性格
をもっている。原発やソーラーパネル、風力発電などで航空機
を飛ばすことは現実不可能である。純バッテリージェットなど
あり得ないし、船舶、自動車でも純バッテリーは現実制約が大
きすぎてトータルでの実用性はエンジン併用に及びもつかない
。
だがさらなる本質は原発もソーラーも半導体も風力も、とい
うよりあらゆる工業製品は、繊維製品もむろん含んでだが、石
油化学合成物質なくしてあり得ないのである。全ては石油化学
工業の手のひらの上しか舞えないものだ。すでに60年ほど前の
日本の雑誌にも「石油をエネルギーで浪費などもってのほか、
石油化学合成物質なくしてあらゆる工業製品はない」として
石油資源を石油化学物質製造に限るべき、というオピニオンが
載っていたくらいである。
脱炭素アイテム!はすべて石油化学、また銅などの基本メタ
ル。数多くのレアメタルなくして存在できない。要は「脱炭素
」ドグマ、気候変動危機論は無尽蔵のベースメタル(銅が代表)
数多くのレアメタル、また石油資源を前提とする「贅を尽くす
生活を限りなく追求の人類」のあまりのエゴの産物でしかなく、
その資源獲得競争は戦争さえ正当化しかねず、戦争をやったと
頃で資源自体が増えるわけでも採掘しやなるわけでもない。銅
資源に狂奔する脱炭素ドグマまその採掘によるとんでもない環
境汚染を「気候変動で地球を救うから」と正当化するだろう。
石油は新規油田開発で採掘可能年数は延びていくがそれも21
世紀末までが限界だろう。銅資源、レアメタル資源などは大袈
婆でなく風前の灯である。「気候変動」と大きく構えるがその
前提の無尽蔵の資源は全くの虚構ということである。
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