岸田首相、不出馬、しょせん宰相の器ではなかった。首相、密談談合での決定の制度疲労の議院内閣制の廃止を
岸田首相は総裁選、不出馬宣言、国民にも党内にも不人気を
極めた。そこで、岸田を除けての総裁選、それすなわち国会で
の指名確定となる。私は岸田首相はあまりに宰相の器からかけ
もない政治家だった。ただ時流におもねるのみ、新型コロナが
支配的なドグマ!と見たら実質、鎖国化。ウクライナに行って
は広島のあの必勝しゃもじを、・・・・・・だが私は、党内の
密談談合で実質、首相が決まる、という要は議院内閣制の非民
主的性格にとどめを刺す、議院内閣制の廃止、地方自治と同様
の、「大統領制」に根本的変革を行う時期だと思う。大統領と
いう名称が仰々しければ適当な名称を新たに考案すればいい。
「元首」は誰か、という問題で大統領制に反対は何ら本質的な
意味を持たない愚論である。日本の天皇制を明治以来のあまり
に政治、統治に天皇制を利用しすぎる、という日本近代化のあま
りの問題を一挙に解決すべきであり、天皇陛下は政治と関わらな
い純然たる象徴となるべきだ。イギリス的な議院内閣制は、いか
なる意味でも、うまくいっていない。それを民主主義のお手本と
見做す弊からも脱却すべきである。
日本国内の改憲派、改憲阻止派の議論の低級さはあまいにひど
いし、それにハマる既成メディアの論調も唾棄すべきである。
岸田不出馬を喜んでいるようでは何位もならない。なぜ国民が
選べないのか、総裁公選論もあまりに矮小だ。議院内閣制を廃止、
三権分立を明確にし、天皇制の政治利用はやめる。国民はただ議
員を選んだだけなのに、その議員の中から議員たち、実質、与党
の議員だけの談合で全て決まる。「議員は選挙だから間接的に国
民が選んでいる」は愚民化の最たるものだ。
地方自治は民主主義の学校というが、国政は民主主義の反面教師
ということになる。市会議員を選挙で選んだら、議員の中で市長
を選び、決めて議員から助役とか局長を決めるとしたら、誰だって
愚弄されていると思うだろう。だが国政がそうなのだ。
議員内閣制で議員、内閣、官僚が完全に癒着する。小選挙区制で
現実政権交代も至難で、もしあっても民主党の例を見れば明らかで
、直ちに官僚と癒着してしまう。政権交代の意味はない。地方自治
にならい。、実質大統領制に移行すべき時期であり、民意を汲み上
げない議院内閣制は制度疲労の極致である、・・・・・・がそんな
提案は皆無である。議院内閣制の下の政権交代は全く無意味である。
かくして、またしても自民党内の密談、談合で決まってしまう。
どこにも国民の意向は反映されない。こんな腐りきった制度をいつ
まで維持するのか、であるが、半永久というのが現実である。
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