中曽根康弘『日本の主張』1959,55体制確立前の中曽根康弘(改進党所属)の本音の発散
宰相だった中曽根康弘氏、大統領的首相というコンセプト
で首相公選論も唱えた。その著書は多いが、その最もナマの
主張を噴出させた、まだ1955年の保守合同以前、直前ではあ
るが改進党所属だった若手議員、中曽根康弘氏の著書である。
1953年に訪米し、多くの場所を見学、著名政治家と面談し
たという中曽根康弘氏はそれらの体験も活かして世に問うた
本がこれである。中曽根さんがいう「昭和の革新」というコ
ンセプトの主張である。
中曽根さんは訪米し、重要と感じたものは陸軍士官学校(
ウェストポイント)海軍兵学校、海軍工廠、総力戦研究所など
である。中曽根さんはこれらの重要箇所の見学につき、アメ
リカ国務省の当局者に向かい、
「声を上げ、こわい顔色と太い声と、真剣勝負の態度」で、
もし見学させないと言うなら
「それは重大だ、日本の自衛問題に私ほど真剣に国民に訴
えている者は他にいない。日本の運命を憂い、選挙の当落を離
れてまで努力してきた国会議員わ私と芦田均氏をおいて他にい
ないではないか。この私に対し、もし吉田首相への気兼ねとか、
防諜で視察させないというなら、日本の自衛熱など吹き飛んで
しまうだろう。返答によっては私も対米政策を見直す」と相手を
恫喝まがいで話したという。
その見学体験記では総力戦研究所については
「日本にも欠くことが出来ないものであり、このような研究所
があってこそ、世界各国の協力は現実的な検討の上に健全なもの
となり、そこに安定した世界平和への道も舗装されてくる」で、
いうならば再軍備のための見学と云えた。
中曽根さんは
「日本を制するものが世界を制するという言葉がそのうち、生
まれてくるdさろう」
ともいう。
「今こそ8600万人の同胞よ、断固としてポツダム、サンフラン
シスコ体制から脱し、前進しよう」
と言い切る。それは要は、再軍備と憲法改正なのだという。その
根拠はニクソン副大統領が来日し、日本を非武装国家と云ったのは
誤りであるという。
中曽根さんは日本を「家族国家と断定し、国家とは運命共同体だ、
という。個人とは「弁証法的な絶対無」であるという。
それ以外、この本には、連続と非連続、時間的現在とか意味不明
の言葉が多く、筋道はどうも分からないが、結論は絶対無の個人と
運命共同体の国家だけが残る。
さらに改憲で、首相を国民選挙による任期四年の職務とし、天皇
元首政を主張する。さらに再軍備は無論、憲法を改正し、「日本国
民全体の自らの決意で」自衛軍を創設すべきだという。そうするこ
とで日本はアメリカの保護状態から脱却し、国権が回復され、昭和
の革新が推進されるという。
だが軍隊を持つにはなお経済力が不足している。その点は「米国
に対し、決意を示すことで堂々と援助を要求すべき」だという。
「自衛問題に最も積極的な意見を持つ改進党が吉田内閣の死命を
握っている。改進党がその推進力となるべきだ」という「昭和の革
新は改進党から」という結論だろう。
すぐに保守合同がなされ自由民主党が誕生した。
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