お盆休みの締めくくりは久々の東京へ、岡山東京間3時間10分は早いのか遅いのか


 お盆休みは8月15日の木曜日までとしたが、すぐに週末、気
分的には明日の日曜日がお盆休みの最後、となるようだ。暑い
夏には違いない、混乱はJR東海の計画運休だが、結果論ではな
く計画運休は強いて必要はなかった、それはコース、と台風の
端的に言うなら凡庸さである。気象については大げさ報道が目
立つどころではないが、全面運休となると、まして全席指定と
なればその与える混乱、不便も甚大となる。16日に新幹線予約
の人たちは黙って甘受、対応するしかなかったがお気の毒だっ
た。

 さて、明日は久々に東京へ、新幹線料金を考えれば私にような
者はめったに行けない。岡山からおよそ3時間10分、ぎりぎりか
もしれないが日帰り可能である。内容にもよりけりだが。

 歴史的には東京、大阪間は明治末期でも急行で16時間半かかっ
た。それではいかにも時間がかかりすぎる、というので古い話だ
が明治40年、1907年2月、安田善次郎(安田生命)が政府に提出
したとう「東海道高速電気鉄道計画」があった。東京、大阪間を
結ぶ交通の便こそが日本経済、国民生活の最重要の基盤と考えた
からである。当時として敷設費用は一億円近かった。安田財閥で
もひねり出すには困難な巨額資金だった。で、それは日の目を見
なかったのである。理由は、東海道線は国にとってのドル箱路線、
それを民間にやられてはかなわない、という逓信省鉄道局の反対
のためでああった。もし実現していたら、その歴史的効果はどう
だったろうか。

 その弾丸列車構想は1964年、東京五輪開催までにを目標に実現
された。1964年10月1日、五輪開会の9日前だ。東海道新幹線で
あるが、東京、大阪間が4時間、世界銀行からの融資もあってフ
ランスの反対で最高速がかなり抑えられた結果でもあった。実は
1965年8月、大阪の叔母たちといっしょに東京に行って初めて新幹
線に乗った。「遅いな」というのが乗ったまず印象だった。最高速
は当初は200km/h以下だったかもしれない。

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 とまあ、明日は出陣、アグネス・チャンさんの顔を間近で拝める
わけである。1973年、「ひなげしの花」から、・・・・・本当に長
い時間が過ぎてしまった。

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