山田吉彦(きだみのる)『モロッコ』1951,岩波新書、モロッコ旅行記、戦前の日本人としては稀有の体験

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 著者の「山田吉彦」は戦後は「きだみのる」というペンネー
ムで「気違い部落」シリーズで勇名を馳せた。その地元の部落
では大変な恨みを買った。実の娘にあの三好京三の「子育てご
っこ」のモデルとなった広瀬千尋がいる。・・・・・でも思う
のだが「きだみのる」は「むのたけじ」と混同されやすいので
はないか。むのたけじは反戦、「たいまつ」、秋田である。山
田吉彦は戦前、フランスにわたり、パリ大学で古代社会学を学
んだフランス通である。嵐山光三郎で「漂流怪人・きだみのる」
という評伝もある。

 慶応大理財科を中退、フランスにわたり、戦前の日本人とし
ては異例なフランス通となった。ファーブル昆虫記など翻訳も
多い。戦後はアテネフランセの教壇にも立った。

 岩波新書で出たのは1951年、昭和26年である。戦前、フラン
スに滞在した体験を述べたものだ。

 1939年、当時のモロッコ駐在の日本領事は山田吉彦(きだ
みのる)に向かい、「俺にはそんなところまで見せなかった。
それは公私混淆というものだ」と云った。著者は「世界が警戒
しているのは日本の市民ではなく、日本の国策だ。日本の市民
は愛されている。官吏である君は警戒されて何も見せてくれな
いのだ」と応えた。

 で、モロッコ?名前だけは日本人でもよく知っている。映画
がまず挙げられる、またヤクザの「モロッコの辰」なんていた。
モロッコといえば外人部隊、である。住民は?といえば、イス
ラム教徒のベルベル族である。戦前、フランスの植民地だから
フランス軍が相当に苦心して統治していた。熱砂の戦いが繰り
返された。フランスには重要な植民地だが、現地住民にすれば
従属の苦境であった。

 この本は著者は単に旅行者であり、旅行記である。
 
 著者、きだみのるはマルセイユを船で発って四日目に到着し
た。カサブランカが入口の港である。バスで一時間半走ると、
行政の中心地、ラバへ着いた。著者はそこから、海岸の要塞の
町、ウィーディアスに行く。その地は、はるか二千年の昔、フェ
ニキア人が、次いでカルタゴ人が交易の市を作っていたといわ
れるアンファンを通り、アイン・ディアブに遊び、ポルトガル
王が1506年以来、築いたというマザガンから、サフィに行って
、モガドールに行く。著者はアガディールを経て、インスガン
に行く。がそこでは「植物の様相、景観も変わり、太陽に乾し
固められた荒蕪地が多くなってくる」という。

 そこから海岸を離れて植物はサボテンがわずか、というティ
ズニットへの道をバスでゆく。オアシスの部落である。ついで
外人部隊の駐屯地、アンジャからグーリミヌに入る。

 と実際、戦前の日本人としては、稀有の旅行記で地名などは
まず馴染みがないものであり、地図を参照で確認しながらでな
ければ読みすすめない。ただ面白いのは風景描写ではなく、人
との接触である。景観なら映画「モロッコ」、「カサブランカ」
、「外人部隊」などのほうが感じが出るが、人間的接触はやは
り別である。フランス人ともベリベリ族とも気軽に話し、食事
も共にし、気軽に歩き回るうちに、旅行記特有の味がいやでも
感じ取れる。著者、山田吉彦、つまり「きだみのる」は1939年
に帰国している。その記憶をたどってである。1943年に「モロッ
コ紀行」をすでに出版している、その実質、戦後版である。

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