吉屋信子『私の見た美人たち』1969,女性の内面からの美しさを問う
吉屋信子には作品ジャンルとして人物評の作品群がある。
群と言うほど多くはないかもしれないが、つき合いのあった
女性作家について回想を集めた『自伝的女流文壇史』が1962
年に刊行されている。そこでは、それぞれ精一杯に生き抜
いた女性作家たちの私的な側面が、的確な視点から明確に描
かれている。そこでは冒頭に「考えたらこの一冊の中のどれ
もが私が生まれて初めて書いた(私小説)だった」と述べて
いる。
それ以後、吉屋信子は『私の見た人』で新渡戸稲造などの
回想を述べている。さらに杉田久女などの生涯について俳人
の列伝と言うべき『底の抜けた柄杓』も刊行している。それ
らの流れを受け継いでの『私の見た美人たち』、吉屋信子は
何よりも同性愛者であったことを肝に銘じて読まねばならな
いだろう。
徳田秋声の愛人だった山田順子や梨本伊都子、中上川あき、
藤蔭静樹、花柳寿美、古川不二子、万龍、入江たか子、栗島
すみ子、など女優や山田順子の知名度は高いが、それ以外は
あまり知られていなさそうな女性たちで、それだけに貴重な
内容である。
それらの文章はいずれも折に触れての文章だが、一冊にな
るとやはり吉屋信子という個性的な精神性が浮き出ている。
何より、同性愛者、レズビアンというキャラクターである。
美人でも、単に外面ではなく、どこまでも内面であり、その
内面の結果としての生き方を冷静に評価しようというスタン
スである。日本に巣食う社会的な偏見、因襲に縛られず、正
当に自由な精神で見るという堅固な立場だ。自由な精神でひ
たむきに生きて、その人の様々な過去にも打ちひしがれず歩
む美しい人、なのだ。吉屋信子の場合は。それぞれの出身、
家庭環境からくる品格というものに、とくによりかかる傾向
はあると思う。女性が見る女性の美しさ、それはその人間性
に発するという考えではないのだろうか。
最初に配される一篇は「梨本伊都子の日記」である。
イタリアの全権公使鍋島公爵の娘として生まれ、まったく
洋風の生活環境と教育、を受けた伊都子が梨本宮家という、
あまりに異質な輿入れし、それまでの生活環境と天地の差の
堅苦しい格式ばかりの中で生きる悩みをその日記を通して描
く。さらに夫の留学、出征中の不安や李王世子へ娘を嫁がせ
たさいの母親としての苦悩、戦争末期の国の運命への率直な
気持ち、戦後、夫が戦犯として巣鴨拘置所に、その後の臣籍
降下、病死に至る長い間の心の葛藤、起伏、実は一般の人と
基本、変わる点はないが、あいも変わらず宮妃というヴェー
ルに閉ざされた生活、を述べる。吉屋信子はここから『香取
夫人の生涯』という長編を完成させている。
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