大佛次郎『冬あたたかさ』1959,小説の形式を利用した紀行文だが軽すぎる


 ざっとあらすじは、まずは「ヨーロッパ」での話。独身で
50歳に近い医師の江見四郎が学会出席でパリを訪れ、そこで
服飾研究のためにパリに来ていた桐山登美子、演劇の勉強で
来ていて一年半もパリで生活の清川弥生の二人に出会うところ
から話は始まる。

 登美子は江見の友人、赤坂で病院を経営しているのだが、そ
の妻である。だが離婚して洋裁店を出して成功した。登美子の
紹介で江見は弥生を知ったのだが、彼女は江見が密かに片思い
していた愛子の娘である。美少年のような雰囲気の弥生と江見
はすぐ親しくなる。江見は艶福家で登美子とはパリのホテルで、
弥生とはイタリア旅行中の宿で関係した。

 で「東京」に舞台は移る。弥生はテレビの仕事を少しずつ貰
いながら、登美子の洋裁店で働いている。弥生の父は愛子が亡
くなってから後妻をもらったが、弥生とは相性が悪い。弥生は
家を飛び出している。父親は弥生はもしや江見の子ではないか、
と疑っている。

 弥生はテレビドラマ出演で大成功、ある夜、箱根にドライブ
に行くが、登美子の店のマネージャー、菊川が先回りしていて
宿で待ち構えていた。彼から逃げようと車を走らせていて、誤っ
て崖から転落、生命だけは助かったが、脚に重傷を負った。声優
として再出発を計った。江見は彼女を幸福にしようと誓った。

 以上だが、実は単純である。あとがきが創作意図を示してい
るようだ。

 「外国を歩く際に、日記もつけないし、メモも取らない。そ
れで印象が薄れないうちに、何か作品の中に書き留めておきた
いと思うようになり、『冬あたたか』はこのような気持ちから
生まれた紀行中心の軽い小説となった。もとより小説の筋や人
物は実際にあった、現実のものではない。ただロケーションの
細部に私の思い出が込められている」

 紀行の書いておかないとすぐ忘れそうなことを、紀行文では
なく小説の形にして残したい、というのが意図なのだが、軽い
小説であり、小説と思えばさしたるテーマも観察もない。ただ
お手軽というだけである。紀行文の代用品、というのだろうが、
なら東京での話は必要ないと思う。旅情を記すならヨーロッパ
篇だけで十分、東京篇はサービスのつもりなのか、全然、面白
くもない。

 
  1936年、昭和11年、鶴岡八幡宮で

 
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