鶴見俊輔『太夫才蔵伝』1980,失敗者の受け皿としての漫才界、ユニークな漫才論

  ダウンロード (41).jfif
 この本を読んではたと膝を打った。なかなか独創的な漫才論
であり、同時に漫才史だろう。
 
 膝を打ったのは漫才師には他の仕事で失敗してから、この世
界に入ったというケースが多いという。

 「人生のミスキャストというのか、このミスキャストされた
中に体を捻じるようにおいて、そこから世間を見ていく、とい
う姿勢があった」

 私は大学を出て入った会社はほどなくやめ、唯一の?友人
だった関西学院大学に在籍中の宝塚の造園業の息子、彼も
うまくいっていない。関西学院の近くの公園、新幹線六甲
トンネルの出入り口のすぐ上の公園のベンチに二人で座って
「おい、一緒に吉本にでも入って漫才でもやらんか」と、
もし、なら間の抜けた調子外れの漫才でウケ狙い、・・・・
・・確かに他の仕事、で失敗や社会でうまく行かなかったか
ら漫才師、はそれが普通だ。最初から漫才師一本ではあまり
ないだろう。最近はたまにある。私の出た高校から二人、卒
後、他の仕事は経由しないで吉本に漫才師志望で入った二人
がいるが、もう三年cくらいか、全くその存在が出てこない。

 つまり世の中にうまく適応できない者同士が、もう自分の
バカさ加減を人前にさらして、また同時に世間のしきたりの
偽善を茶化してやっていくのが、まずは漫才の流儀だろう。
だから出来のいい人間、賢い世渡りのウマい人間の存在は認
めない。人間は要するにアホな存在であると相互に確認し合
うのだ。

 とにかくこの現実社会は、人間は従順でそつがなく、一言
でも口ごもることなく、機械のように冷酷に生きることを求
められる。そうでないと,たちどころに会社などから放り出さ
れる。そんあ世知辛い世の中ならばこそ、人間のバカさを、
要領の悪さ、能力のなさを対極的な生き方が大切だというこ
とを鶴見さんは力説する。

 こうした考えのもと、漫才の歴史を振り返る鶴見さんだが、
江戸時代の初期から、年のはじめに各家を回ってその家の
安全と繁栄を願って祝を述べ、腰鼓を打ち、舞を舞う太夫と
才蔵の二人連れ万歳という芸があった。さらに、その源流を
たどり、王朝時代の雑芸に至る。すでにその頃から「掛け合
い」や「もどき」という今日の漫才と共通の要素があったと
いう。

 門づけの祝い芸での万歳は、太夫はクソ真面目に荘重に、
才蔵は逆におどけて滑稽に振る舞いながら、互いに顔を見合
わっせて、ニコリと笑うところが目出度い芸の見せ場だった
のだ。この太夫と才蔵の役割分担は、翁とひょっとこになり、
老人と若者の対立いもなり、現在の漫才では、ボケとツッコ
ミという形になる。

 ある一つの目的のため、全員が一致協力しなければならな
いという日本の公的な建前だが、その建前の、公的な世界か
ら外れたら、実際はそうはいかない。思想や信仰の違いで個
人を抹殺しないことこそ、日本の庶民の流儀というのだ。そ
の流れが漫才だ。日本の建前の権威主義的な流れの、云うな
らば解毒剤としての役割が漫才にはある、と鶴見さんは云う。

この記事へのコメント