滝川駿『小堀遠州』1962,評伝でなく小説。静寂な古寺を散策するような趣

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 茶道には裏千家、表千家という千利休に発する、わび、さび
に依る流派と、他方、武家茶道がある。その中、現在の遠州流
、小堀遠州流を生んだ小堀遠州の茶道もある。広島には上田宗
箇流という武家茶道もある。広島大学時代、茶道部が地元の
上田宗箇流だったので個人的な事情だが印象に残っている。

 さて、刊行はやや古いが茶道にまつわる本だから別に古いも
新しいもない。目次を見ると、各章の題に仏教用語が使われて
いる。云うならば寺の境内に足を踏み入れたかのような、えも
云われぬ静寂さが漂っている、とうべきか。第一章の代が「聴
雨の庭」と実に奥ゆかしい。騒然として殺伐たる世相に、静か
な雨音は心安らぐ。

 この本は小堀遠州の評伝ではなく小説というべきものだ。そ
の時代は、やはり戦国の動乱が終焉しても、血なまぐさい時代
だった。秀吉の没後、天下の流れは徳川に注ぎ込んだ。それだ
けに陰謀策略の跋扈の時代だ、その中で揺れる大名たち、その
ような中で芸術家大名、小堀遠州が何を思い、悩み生きたかを
描くのがこの小説である。

 遠州はひとかどの武将だった。だが彼の本領は武ではなく、
造園、建築、茶法にあった。武に没頭ではなく、それらに真の
生きがいを見出したのである。

 だが、この本は小説だ。甲賀流忍者の小姓が現れたり、芸術
的にも人間的にも遠州に惚れ込んでいる内妻の智世は同時に、
遠州の知己でもある。その智世は遠州に政略的に有利な縁談が
きたため、人知れず行方をくらます。「妻は夫の一切に殉じな
ければならない」、「独占することだけが愛ではない」という
のが智世の思いであった。そして、ひそかに生け花や陶工、茶
法に生きていく。遠州の政略結婚はだが一向に進展しない。智
世を思う遠州も彼女を探そうとはしない。智世の死がさりげな
く語られるのみ。

 時流に媚びる宗旦(千利休の孫)の茶法に憤慨し、若い大名の
金森重近が万座の中で宗旦を罵倒し、去る話。そのあとの、気ま
ずい茶会に素性を秘した智世が現れ、黒百合を生け花し、一座の
空気を変えた話。また後年、遠州が田の畦道で飲んだ冷たい煎茶
の話など、なかなか印象に残る部分が多いのだが、史実と独自の
小説的創作がどうにもマッチしない不自然さはどうしようもない。
著者独自の芸術論、哲学も一般度読者には難しい。遠州流の会員
向けの著作なのだろうか、利休の孫の宗旦とあるが、本当なのだ
ろうか、という疑問も湧く。

 小説的な修飾より、京都に入って桂離宮、修学院、龍安寺など
散策する、静寂で落ち着いた雰囲気に浸れるのが魅力だろう。桂
離宮の庭園た大徳寺の庵を造った遠州の「綺麗さび」の魅力がや
はり第一である。

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