小津安二郎『麦秋』1951,見れば見るほど散漫で退屈な小津流、時代を全く描けていない
小津安二郎の映画、主に戦後の作品を見ると松竹、また東宝
でも映画を作っている。その評価はなぜか絶賛である。「面白
い」といって意味は多様だ。小説にしても多種多様だ、その「
面白さ」も多様である。そんなこと当たり前で、では評論家が
絶賛する小津映画の面白さとはどういう部分なのか、である。
別に評論家がどう言おうと、そんなこと関係なく、見た映画が
何らかの意味で面白ければ面白いと思うだけの話である。
私は正直、小津映画は絶賛するほどの映画ではないと思えて
ならない。ドストドエフスキーと尾崎一雄の私小説、短編を
比べても、そのおもしろさというのか、味は全く異なる。そ
れは当然、では小津映画の妙味ってなんだ、若い人が見て
「小津映画は素晴らしい」といえば、心底、正直に云ってい
るとは思えない。自分の鑑賞眼を誇る不純な目で云う、多少
、名のしれた人の場合はたいてい鑑賞眼を誇っている、見栄
を張っているのである。
私は正直、あまり鑑賞眼もないので小津の評価の高い、「
東京物語。別段、東京が舞台でもないのに、「東京物語」、東
京ばかり持ち上げ、田舎をバカにした小津らしいタイトルだが、
これが一時間ほどのホームドラマなら悪くもない気がするが、
あの長さの映画にしたら、ちょっと、という感じがする。
そこで俎上に載せる作品は『麦秋』、前作の『晩春』と大同
小異な映画である。松竹作品、いい悪というより、この時代、
まだ1951年、昭和26年、あの時代が懐かしい。といってまだ
私は生まれていない。あの幼い時代、映画はまだ全盛といって
よかった。娯楽といえば映画、ただ東宝のあのキラキラの最初
の映像、東映の岩に海水が打ち付けての飛沫の映像をみたら、
なにかワクワクしたものだが、あの松竹の富士山の映像をみた
ら「あー、面白くないな」と子ども心にウンザリしたものだ。
でも人生で懐かしいのはあの時代だけなのだ。
松竹からDVDででも出ているがAmazonプライムで見ること
が出来る。私もそろそろ小津の映画が多少は分かる年齢になっ
たのだろうか。小津は60歳の誕生日に亡くなっている。
『麦秋』あの昭和20年代後半の日本の家屋、風景、街の光景
がまず懐かしい。
まず前作の『晩春』と同じテーマである。婚期を過ぎた28歳
の娘、いまどき28歳で婚期を逸したなどいわないし、そもそも
結婚しない女性が多いのだが、この時代、「婚期を逸した」女
性という設定となる。その娘は原節子、ちょっと若さに欠ける。
原節子30歳から31歳の頃である。
原節子の『麦秋』での名前は間宮紀子、「まみや」さんである。
多くの舞い込む縁談に気乗りがせず、家族をやきもき心配させて
いたが、ひょんなことから一人子連れのヤモメの医師、矢部(二
本柳寛)と結婚の決断をする。矢部の貧乏暮らしの母親(杉本春子)
がつい口を滑らせた「夢のような」が意外と紀子の胸キュンを
生じさせ、結婚の決意をさせる。これには矢部の老母も驚く。
周囲も驚くが、それも別に不自然さはなさい。この二人の心の
ふれあい、と人生の重大な転機が鎌倉のわびしい家で展開される。
紀子が矢部の家の玄関を出て帰ろうとするとき、矢部も帰ってき
て鉢合わせ、だが紀子はこのことにふれない。息子を迎えての
母の感動ぶりもいい。
で全体を見て「麦秋」の真に重要な場面はここであり、そこに
至る、全体の約三分の二はスローテンポで、いかにも小津的な、
一種の「遊び」を交えて、紀子の生活環境が展開する。人生を斜
に見る小津独特な退屈というべき雰囲気、またちょっと気取って
上品なユーモアが織り込まれる。その挙げ句、突然、劇的な場面
となる、その構成は実に渋い。だが疑問はそのラストに疑問が拭
えない。テンポが乱れ、ラストは失敗と断じる。
北鎌倉に住む間宮一家は老父母(菅井一郎と東山千栄子)と長男
の康一と妻(笠智衆と三宅邦子」子供二人で、康一の妹の紀子、
老父は植物学者、康一は病院の内科部長だろうか、近所に住む
矢部は同じ病院の部下である。34歳。紀子は丸の内の商社の専務
の秘書として通勤、ときどき築地の料理屋「田むら」の一人娘、
アヤ(淡島千景)を訪ねる。「田むら」には専務もよく来る。
紀子は「晩春」のやはり紀子より多少は積極的だ。専務が持ち
出した金持ちの四十男との縁談を蹴り、秋田での田舎生活を決意
するのだが、あの当時としてはモダンな女性が秋田での生活?
と不自然さを感じてならない。それを原節子は表現できていない。
最初、電車に乗る前、ホームで矢部と語る紀子に、なにか伏線的
なものがあって良さそうと云うより、ないから不自然なのだ。
康一夫婦が紀子の突然の決断を認めるのはいいとして、両親の
態度ときたら、まるで腑抜けである。だいいち、矢部の母親と紀
子の口約束だけなのだから、別に決定とも思いにくいし、頼りな
い話である。誰も確認にいかないのもおかしい。
老父の間宮は菅井一郎はまるで虚脱したような人物で描き損ね
というものだ。老人夫婦を小津はよく描くが、小津の思い入れば
かりが多すぎる。博物館の庭の場面もさまにならない。娘の重大
なことを相談と言って父母がすぐに二階の寝室に直行は奇妙だ。
老母!の東山千栄子も冴えない。役柄が不明瞭で意味が見出だせ
ない。笠智衆は「晩春」より若い年齢の設定で、これは生きてい
る。三宅邦子も三宅邦子で悪くはないと思うが、この映画では
存在感が乏しい。脇役の元宝塚、淡島千景はいい味を出してい
る。井川邦子、紀子の友人と、矢部の母役、杉村春子はともに
いい。子役二人はいいと思うが、玩具のレールで家出も、これ
もいかにも不自然。
主役の原節子?いつものように微笑を繰り返すのみ、あまりに
演技力がない、と思われて当然だろう。
鎌倉が基本舞台、それで「麦秋」?老父母が大和に移り、麦秋
の頃の風景を楽しむからだろうか、こじつけ的なタイトルだ。映
画の焦点そらしのようだ。概して「晩春」ほどのアピールがない、
散漫だが小津流の映画であるのは確か、それを面白い、いいと
感じる人にはいい映画だろうが、そうでないと腹が立って仕方が
ない映画ともいえる。人生肯定はいいにしても、そんな甘い時代
だったんでしょうか?何も時代を描いていないと思える。
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