中島敦「山月記」の真実と問題、中島敦唯一の欠陥の多い作品だが、逆にそれが愛される要因という矛盾


 こと新たに今でもなく、中島敦の『山月記』は「古譚」の
中の一つの作品、わりと初期、1942年の作品である。「古譚」
には含蓄に富む名作『文字禍』も含まれている。

 まず『山月記』で中島敦に入った、『山月記』が好きという
人は多いと思う。だが私は、中島敦の作品群を見渡して、妙な
「未熟さ」というのか「作品の欠点」を最も感じる、といより
その唯一の作品が『山月記」なのだ。深みを感じる前に設定の
不自然さが鼻につく、中島敦では珍しい作品だ。それを鋭く指
摘の論者は少なからずいる。その中島敦には稀有な欠点が多い
作品でも、私の現在の心境に最も通じる作品でもある。

 中国の原典はおよそ洗練を欠く粗野なものだが、それを近代
の文学作品に仕上げた、そのテーマはまた非常に痛切である。
だが原典の欠陥をそのまま受け継いでおかしな部分も少なくな
いのである。うだつも上がらず、一流にも全然なれず、不本意
な人生についに発狂する、これは云い難いがそのまま私の心境
になる。だからテーマは文句はない。だが原典譲りの、また中
島敦の創作による部分で、まずい点がある。

 勝俣さんの著書にも引用されているが、フランス文学者、古屋
健三さんの『山月記』評は手厳しい

 まず対面するのが友人という点である。絶望し、夢には遥かに
遠く名前は全く上がらない、発狂し、虎の姿に、・・・・・

 「せめて虎が対面するのが友人でなく、妻子だったら、この
作品は遥かにもっと微妙なニュアンスを帯びたに違いない。貧
にやつれた妻子をみたら、いくら虎でも自分の悲しみばかり並
べたてるわけにはいかないだろう。妻子が愛おしくなり、離れ
がたく、切なさのあまり、妻子を食べたかもしれない。いずれ
にせよ、次の展開があったはずだ」

 友人に思いの丈を云うだけ云ってドロンでは、たしかにちょ
っと妙味がなさすぎる。

 それと私が最初から感じていたことで、うだつが上がらない、
詩人としての名前もさっぱり、このまま俗吏としては耐えられ
ない、ついに発狂、・・・・・・だが三流詩人だ。それが狂って
て虎とは、いくらなんでも身分不相応すぎないか。これは非常に
おかしい、原典がそうだったにせよ。

 「三流の詩人が人食い虎なんて、少し詩人を買いかぶっていや
しないだろうか。冴えない三流新人のイメージに相応しいのは、
せいぜいゲジゲジとかムカデ、蜘蛛とか間違っても人に愛される
kとがない生きものではないのか。それが、勇猛な虎などを持ち
だすのだから、まだ己を大事にしすぎていないか」

 まさに三流詩人が狂った挙げ句が「虎」とは、ちょっとイメー
ジが乖離している。東洋の百獣の王になれたら大願成就ではない
か、であろう。俗吏の三流詩人、中途半端男が最後に虎なら、こ
れは驚くべき出世だろう。せいぜいゴキブリくらいが似合ってい
るはずだが、ここが非常におかしな部分だ。

 カフカの『変身』でザムザが甲虫に、これがライオンだったら
どうだろうか。

 さらに「虎になった」ならその後の一種の活劇がなくてはなら
ないが、旧友に愚痴って立ち去って終わり、では何のための百獣
の王なのやら、・・・・・・というのは当然の疑問だ。

 ただ原典を尊重した、と言われたらそれは仕方がない。才能あ
る中島敦だから、その気になればどうにでも書けたとは思う。が
、しょせんは原典の制約を脱しきれていないのだ。

 だが多くの読者を持つのも、やはり「虎」に変身したからであ
る。欠点、矛盾と思える要素が実は魅力となっている、ここに『
山月記』の秘密があるということだろう。


 中島敦  昭和9年、1934年、熱海で

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