国政選挙は政治家の利権、政治的利益の道具なのか?茶番劇に馴らされる国民。民意の反映と無縁
国民は蚊帳の外の自民党総裁選がなされている。それは特定
の政党の党首選びだから国民は蚊帳の外は当然、としても日本
は「議院内閣制」だから一国の首相は議会が選ぶ。それは与党
の思惑で決まる。例えば自社連立で社会党の村山委員長が総理
に選ばれたこともある。とこかく国民は蚊帳の外は変わりはな
い。
結局、国政において国民は一国の最高指導者を選出できない。
他方で日本の総理は別にどこにも具体的規定が決められてるわ
けでもないが、「自分の好きな時に議会、衆院を解散できる」で
これは総理の侵されざる権限だという、という規定も条文もない
が、この非常識がマスコミ・メディアの全くの無批判のなか、ま
かり通っている。国民が選挙で選んだ衆院議員(ただし比例登載
の候補者は国民が選ぶわけではない)を国民が選べない総理が好き
なとき、自分の都合でその地位を奪えるというのである。進次郎
の父親の小泉純一郎のように参院で郵政民営化法案が否決された
ら衆院を解散、電通の仕組んだ大衆操作のもと空前の狂乱の郵政
民営化選挙を行い、大勝利、郵政民営化は実現したが、それが国
民の虎の子の郵貯資金が米国債など外国流出という痛恨の悲劇を
生んだ。
日本は間接民主主義の素晴らしい国だと教育段階で叩き込まれ
るが、小選挙区制が実施され、相対一位が当選、という仕組むで
は日本のような政治風土、保守合同がなされた国では、やる前か
ら基本的に結果は明らかである、かりに政権交代してもしょせん議
院内閣制の下の政権交代で、官僚支配の立法権と行政権の癒着とい
う悪弊に変わりはなく、同じことである。
国政選挙は基本、やる前から結果はわかっており、既成政党の
議席数が多少変わるだけである。「投票は公民の義務」とされる
が、このような制度では愚民化に応じているだけと云っていい。
そもそも
「選挙」とは国民の政策、立法への民意の反映でなければ意味
はない。当然である。だが国民の切実な要望、意思に反して悪法
が暴走するのみである。国政選挙の投票でそれらが是正され、結
果として民意が反映した、など現実にはない。
現実は「選挙の洗礼」を受けたから、あとは政治家は何やろうが
勝手、という国民は踏んだり蹴ったりの結果である。民意の反映の
要素は国政選挙には存在せず、選挙を行うことが政治家、与党、内
閣の政治的利益、政治的野心達成のための道具、つまり国民に意味
はない政治家の利権の道具となっていることは明らかである。
今度も総理になりそうな小泉進次郎が「首相に就任したらすぐ選挙
をやる」と公言し、選挙で勝利を得た首相として政治的地位を強化を
達成、ということだから、国政選挙がどこまで政治家、首相、政党、
内閣の利権でしかないか、である。あまりの茶番劇である。
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