高畑淳子は日本の掟に反したのか?表舞台で屠殺はタブーは欺瞞ではないのか。

  
 現実、競走馬は95%は屠殺にされる。だが、それは日本の
奇怪な奥の院である。口に出してはならない。わかりきった
話だ。屠殺なくして肉食はあり得ない。極めて重要な職種で
ある。だが、屠殺現場は悲惨だ、豚は涙を流す。屠殺される
動物の断末魔、生まれ育った家、隣家は肉屋、ニワトリの絶
叫が。日本で食肉といえば被差別部落、韓国系、それ以外で
ある。隣家は被差別部落ではなかった。ただ、どうしても日
本ね歪んだ歴史は、屠殺、食肉を被差別部落と結びつける。
食肉の帝王、浅川である。別に被差別部落以外で食肉も珍し
いものではないが。  

 加古川に三島由紀夫の慰霊碑が食肉業者によって建てられ
た。訪問者が警察に聞いても不機嫌そうな顔で教えてくるな
いという。とかくの噂が飛び交った。なぜ三島由紀夫が異常
に故郷を嫌がり、忌避したのか、

 ともかく、高畑淳子は横柄で生意気、高飛車だが、慎重に
言葉を選ぶ、周囲、全体に配慮という面に欠ける。屠殺はテ
レビでは決して発してはならない。それは日本社会の暗部に
ふれる、例外はない。しかし、それもしょせんは真実の半面
でしかない。

 しかし、偏見である。生きることは食べることだ。動物性
食品は屠殺なくして成り立たない。屠殺という仕事は崇高な
誇りである。屠殺される動物が可哀想、それが被差別民によ
って?それは実は日本に特有であり、他民族には該当しない。
無論、日本人だから民族差別が激しい。どこまで差別に身と
こころを任せる日本人だろうか。生き物の死をこれほど見つ
る仕事も他にない。屠殺、解体、精肉という仕事の社会的な
価値は間違いなく稀有な意義をもつ。さらに云うなら何ら特
別なことではない、人の身近な営みである。臭いものに蓋と
いう偏見の繰り返しでは社会の真実は見えてこない。実は心
優しき人達であり得る屠殺、解体業、日本人に突きつけるも
のは鋭い。

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