阪本勝『知事の手帖』1958,文人知事の随想、今の兵庫県知事と大違いな人間性。日本で真の仏教徒は自分だけという自負
阪本勝、1899~1975,戦前、1942から1945まで衆議院議員、
戦後、尼崎市長を二期、その後、兵庫県知事201954~1962ま
で二期、戦前、衆院の前に兵庫県会議員も、
実はインタビューでこうある、
Q:土井晩翠先生からずいぶん、影響を受けられたそうですが。
阪本:兵庫県から仙台くんだりまで出かけたのは(仙台の第二高
等学校入学)、土井先生に憧れたからなんですよ。その学識は古
今東西にわたり、十二カ国語を解し、まさに碩学(せきがく)とは
土井先生のことですよ。私は先生から英文学を教わったんですが
、それより先生を通して華厳経を教わって広大な仏教の世界を知
ったんです。これが僕の生涯に決定的な影響を与えたんです。今
の日本で本当の仏教徒は私一人と思っています。坊主はみな、ダ
メですよ。葬式、法事をやるだけです。生活と無縁です。私は関
学で教えてましたからクリスチャンと思われがちですが、れっき
とした仏教徒です。知事をやめたら一大仏教運動をやろうとさえ
思っているんです。
Q:いろんな理想はお持ちでしょうが、現実はうまくいきますか?
阪本:現実はギャップがありすぎて困ります。ギャップは大きい
が、少しでも地道に埋めていく、それでいいんじゃないですか。
そこで『知事の手帖』である。
「知事室に入ってくる婦人客で知事室に入ってくる方で、いい香
りといって入口で立ち尽くす人がある」と記している。阪本知事が
知事室に安置している観音像に毎日、香をたいて礼拝するという。
阪本知事は、もちろん当時の阪本知事だが、1899年生、旧制北野
中学から仙台の旧制二高に進学、影響を受けたのは土井晩翠、英文
学の教授だったが、阪本知事は土井晩翠から仏教を教えられた、こ
れが人生の一大事だったわけである。それから福島政雄教授の影響
で親鸞に親しんだ、という。(以後著者と)著者は知事となってからも
仏教に深い信仰を持っている。
「元日には屠蘇を祝ってから平家物語の巻頭を二、三章と末尾を
読み、人々かあけましておめでとうと云っているときに、諸行無常
の鐘の音に心の耳を傾けておうことしている」
と書いてある。
この本は知事である著者の表向きの仕事についてではなく、それと
離れて人間的なさまざまな随想を述べたものである。知事校舎の庭に
は野草や薔薇を植え、ウサギやニワトリ、孔雀、カナリヤも飼ってい
る。近所では「知事さんの動物園」と呼んでいて、子供たちが見に来
る。帰りがけに薔薇の花を摘んでいかれるのには困っているそうだ。
知事校舎の前はドブ川が、神戸市内である、その上に架けられた橋
をわたって公舎に入ることになる。橋の袂には腰を掛けるのに都合が
いい石が二つ据えられていて、さまざま人たちが腰を下ろす。ある日
、そこに夫婦のちんどん屋らしい人が座った。そこで著者はその夫婦
と二言三言、話したのだが、その夜になって「今頃は、どこの貧しい
木賃宿で、かなわぬ夢路を辿っているのだろう」と彼らの身の上を思
いやる。
実際、著者は非常な感傷的人物であると思わせる。実に60ほどの
短い随想が収められているが、実にいい年齢して感傷的である。昔
の旧制高校の学生が持っていたロマンそのままである。
「私は微力な地方の首長にしか過ぎない。しかし私は純潔で正しく、
愛情深い人間でありたいと思っている」やはり旧制の第二高校の影響
が最も大きいようだ。
ただ、短文の随筆集としえも、同じことを繰り返し書くのはネタに
乏しかったのだろうか。
今、性格の悪い維新の兵庫県知事が話題だ、やはり人柄は最初から
備わったものということだろう。
この記事へのコメント