『杜子春』芥川龍之介の原典「杜子春伝」(『中国怪奇物語・神仙編』)芥川作品よりはるかに深い

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 芥川の著名な作品『杜子春』は非常に研究家たちによく
論じられる作品である。いうまでもなく児童文学雑誌「赤い
鳥』に発表された、子供向けの教訓めいた作品である。だが、
やはり「赤い鳥」に発表の『蜘蛛の糸』と同じく、さすが芥
川と思わせる凝りに凝った緻密な内容だ。

 しかし中国に原典がある。そこはやはり芥川だ。原典と絡
めて論じた評論は実は多くはない。その原典の翻訳だが、講
談社文庫「中国怪奇物語・神仙編」に収められている。芥川
よってretoldされた、童話として再話された『杜子春』は本来
の怪奇的な要素が薄められ、全く怪奇は薄味となっている。ま
た結末も子供向けの教訓めいている。杜子春が「お母さん」と
叫ぶのは、私にように毒親としての母親しか知らないものには、
「ほんとにいい気なもんだよ」と思ってしまう。

 唐代の「続玄怪録」にあったもとの話、芥川の『杜子春』よ
りはるかに怪奇的で実に残酷な話である。同時に芥川作品より、
ずっと温かい人間味が感じられる。原典は、芥川作品と異なり、
一片の人間的な愛情のためについに道士との約束を守れなかっ
た杜子春は、自分がそういう人間的な気持ちを捨てきれなかった
ことに満足し、安心するのではなく、lそれを心から恥じて、こ
んどこそ、道士との約束を守り抜き、仙人になろうと思い、再び
道士を探すが、もう会えないのだ。ここでは愛さえあればいい、
という近代の教訓はないが、そのかわりに不老不死や現世の人間
には不可能な安楽を求めてやまない人間としての真実在があると
云わざるを得ない。そういう願いを肯定しつつ、どこかで穏やか
に嘲笑するという深い味わいがある。
 
 怪奇譚だからバカバカしい、といえばそれまでだが、非文化的
な低級なものとは云えない。不思議さの底に語らざるユーモアが
ある。子供への教訓などと異次元な大らかな深い暗示があるので
はないか。やはり大人向けのものだ。実に幽玄さを感じさせる。
中国の話しだが、なにか郷愁を覚える。芥川の『杜子春』に郷愁
など感じようがない。

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