三角寛の山窩研究「博士論文」の要約・第二部

  サンカ-e1587438348991.jpg
 山窩、(以後、サンカと呼ぶ)の伝承によれば、それまでの出
雲族は、ツマゴメつまり婦女暴行を得意としたが、スサノオノ
ミコトによって夫婦、ツレミのおきてが出来たという。一夫一
婦の確立だという。

 記紀にある「八雲立つ」の歌謡はただ結婚の祝歌と解されて
おりが。サンカの車空きではこれを憲法制定の歌とみなしてい
る。イズモヤエガキとは、サンカの憲法である。記紀歌謡とは
細部でいくらか異なる。

 ヤクモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴメニ ヤヘガキツクル
 コノヤヘガキヲ

 という歌を、悪者を征伐し、平和を芽吹く憲法を打ち立てた、
と解釈する。婦女暴行などという悪習を廃し、いまここに新し
い掟を作り、この掟を守っていこうと解釈し、結婚、その他の
儀式で唱和するのである。

 ヤエガキは、またハタムラと呼ばれる。ハタは端々までもの
意味であり、ムラは村、すべての一人残らず守る、という意味
である。サンカは我々とは全く異なる、山野を自在に移動する
天下の自由人と見えるが、その社会内は非常に厳しいヤエガキ、
ハタムラによって統制されている。

 毎年一回、全国のクズシリ一が集って、ハタムラの更改、サ
ラタメを行う。いうならば、全国知事会議というところだが、
ハタムラのサラタメは憲法を時流に合わせてどう適用するかを
決定する。

 ヤエガキ、ハタムラは別に成文法ではなく、慣習法であり、
三角寛は論文で伝承法と呼んでいる。一夫一婦制のハタムラ
は想像を超える厳しさである。

 サンカの統治階級について。クズシリの下にクズコがいる。ク
ズコの行政区画は河川単位に分かれており、小さな川には一人、
中ぐらいの川には大きな川には三人と、川の大きさによってその
支配するクズコの数も異なる。

 クズコの下にいるのが村長格のムレコで、各支流に一人ずつい
る。

 一般のサンカにも身分の上下があり、先祖代々の生粋のサンカ
はハラコと呼ばれる。その下にザボオチというものがある。一般
人からサンカに入った者をザボという。これはセブリを三代続け
ると四代目からハラコになれる。

 ★サンカはまた生活の必要によって、セブリ・サンカとなった
りイツキ・サンカになったりする。これは階級には関係ない。太
古の民族は穴居生活をしていた。それがある時期に穴から出て、
地上生活を始める。

 前に日本の柱を合掌に組み、地に差し、一本の棟木を上に乗せ
て、うしろは岩に差して、これに布を被せる。これが揺張、ゆさ
ばり、つまり風に揺れるすまいである。ユサバリが訛って、ゼブ
リとなった。

 セブリとは、精一杯のさまで、ひたすら命を欲しがる。生活す
る、というのが本来の意味だとされる。セブリ・サンカの場合は
定住しない。移動中にしばらく休むのである。

 イツキサンカは別の生活の必要から、ある期間、定住する。
これは天幕を使わず、ちょっとした小屋を建てる。

 サンカの人たちが最も警戒するのが偽サンカである。これをマ
ガクモと呼ぶ。見たところ、サンカと同じように生活しているが
務所上がり、博徒ヤクザの類が多く、善良なサンカに多大の迷惑
をかけている。

 昭和30年、1955年5月、埼玉県南部で起こった事件がある。ある
イツキ・サンカの小二のサンカの女児が学校から帰り、セリやタン
ポポを摘んでいたところ、上級生が通りかかり、摘んだ野草をメチ
ャクチャにし、女の子を泥の中に突き落とした。原因は、偽サンカ
がその前にやってきて、両親を脅迫したから、その報復を行った、
ということだった。

 ★生業と衣食住

 サンカは何をやって生計を立てているのか。

 生業は十二部、トフタベと呼ばれ、箕、ミを作り、、箕直しな
ど、ザル、茶筅、茶柄杓、釜敷、ひつ入れ、スノコ、キセルのら
うなど、合わせて十二種類の品物を作っている。

 芸があるものを、トエラといって俵ころばし、小法師、四つ竹、
猿舞など十種の遊芸で生活をしている。洋傘直しの元祖もサンカ
である。他に副業で竿師、鋳掛屋などもある。だが本業中の本業
はなんといても箕づくりである。その仕事には名誉さえかかる。
箕の用途も様々だが、寸法は決まっている。

 

この記事へのコメント