森九又(三橋一夫)『転々丸漂流記』1962,作家・三橋一夫の楽天的な半自叙伝

  IMG_6507.JPG
 さて、この作品の著者名は「森 九又」である。変なペン
ネームだが本来のペンネームは三橋一夫 1908~1995である。
その経歴、著書はWikiに詳しく述べられているから、そちら
を参考にして頂ければいい。かなり詳しい記述だが森九又名義
で「転々丸漂流記」を書いたとは述べていない。神戸の生まれ、
ただ非常に恵まれた家庭であったようで父親は三菱倉庫社員か
らその後社長に、三菱グループでも重きをなしたという。慶応
大学経済学部卒でヨーロッパ留学経験というあの年代では稀有
な体験だ。1940年ころから同人誌に作品を発表、戦後は多数の
作品を発表、また健康研究家ともなってその方面の著書も多い。
1952年上半期に自伝小説『天国は盃の中に』が直木賞上半期の
候補作に。1975年以降は文学から身を引き、専ら健康研究家と
なって執筆活動を行った。

 で、その三橋一夫が1962年、「森九又」というペンネームで
発表した半自叙伝である。自伝的作品では前述の『天国は盃の
中に』もある。

 タイトルには「漂流」とあるが実際の漂流ではない。1909年
生まれで1962年発表、50歳過ぎになる著者の、自伝小説であり、
主人公が戦後十数年の合わせて12回も住居を転々と変える羽目
になった戦後の自伝である。森九又は誰か、という疑問がある
うだが、紛れもなく三橋一夫、ただし1952年に半生の自伝、長
編を発表しているという事情を配慮したのだろう、この作品に
限って「森九又」である。

 読めば面白い、間違いない、達者な文章だ。でも、気取るわ
けではなく、文学作品として見れば?となると、ちょっと、で
あろう。特段に面白くもないことを、わざとさもユーモアめか
して、著者自身が勝手に面白がっている風情である。また出版
社、出版屋にヨイショなのか、ぬけぬけお世辞を連ねている。

 終戦まではその上流階級故に別段、あくせく働く必要もない
ような遊民的な生活だったようだ。父親が三菱倉庫社長だった
のだから当然かも知れない。で、その遊民だった前半生は述べ
られていない。だが、戦後は社会の大変動だ。父親は追放、か
くして自分で稼いで生きるしかなくなった。新聞社に関わった
り、ヤミ屋の手伝いなどやるがどうも、うまくいかない。結局、
戦前の実績も勘案し、小説家を目指すことにした。

 志賀直哉、林房雄にも激励され、小説を書き始めた。多少は
認められたものの、とうてい、それで生活は出来ない。で「新
青年」への連載、少年冒険小説家、また力道山の評伝を書いて、
これがベストセラーになったり、でも北朝鮮出身が真実など知
るすべもなかったようだ。世に誤った力道山像をばら撒いた。
頼りない自分を愛してくれる妻と、また娘のために生きるため
に冒険小説作家になるのはいいが、それで終わりたくない、と
いう志も捨てられない。まず、自分で納得できる文学という、
その一念で書き上げたというのがこの半自叙伝だ。

 高等遊民的なというなら漱石の『それから』もそうだし志賀
直哉の『暗夜行路』もそうだ。その前半生は無職渡世だ。だが
単に無職渡世ではなく。、独自の思想、というのか人生観を持
っている。だがこの作品の主人公にはそのような深みが感じら
れない。

 いろんなエピソードが書かれている。酒好きなようで人を
疑うことをし知らない。困難にぶち当たってもメゲることが
ない。志賀直哉の異母弟とか里見弴の兄みたいな、それほど
でもないが、そんなタイプと言えばタイプだろう。親しめる
人間性ともいえる、後年、健康研究家になったが酒はやめた
のだろうか。


   

この記事へのコメント