人生の最後は山口市で過ごしたい、終の棲家としたい理由
私はいつからか漠然と、最後は誰も私を知らない場所で静か
に過ごしたい、、それで山口市で、そこに終の棲家を見つけた
い、という気持ちを持っていた。なぜ山口市、今年アメリカ
の雑誌が日本の推奨の観光地として山口市を挙げたとかいう。
だが、観光客の数はあまり伸びていないという。一度、行った
だけである。大学の医局旅行で山口市に、湯野温泉に宿泊した。
いたって静かな街だという印象を受けた。派手さはまったくな
い。県庁所在地で山口大学というまずまずの規模の大学もある。
だがニューヨークタイムズが「2024年、訪れるべき世界の52ケ
所」の第3位なのだから、だがタイミング悪いのは瑠璃光寺の五
重塔が令和の大改修で見られない。
私は人生で受けた心の傷があまりに莫大なので、生活した場
所と全く無縁な土地、街で最後は生きたい、という気持ちはず
っとあった。私からすれば、まだ汚されていない土地、誰も私
を知る人がいない、静寂で文化の香りのする街、あまり不便す
ぎず、東京、関西からは距離がある街、寒冷豪雪地帯でないこ
と、・・・・・・北海道、東北、日本海側、山岳地帯の県、九
州、四国は外れてしまう。無論、関東、関西も外れる。
以前は最後は京都に、大原に庵を建てて暮らし、終の棲家と
したい、などと妄想を膨らませていたものだ。更級日記の作者、
菅原孝標の娘のことが頭にあった。確かに、京都は風情がある。
ただ最近は観光客、外観光客が多すぎ、その本来持っていた静
寂さが全く薄れるどころではなく、隅々まで混雑の気配がする。
そこで、いつからか、「小京都」というなら小京都にふさわ
しい、しかも静寂な山口市に心が惹かれ始めた。東京、関西に
出ると思えば、ちょっと不便でもある。だが中央から離れている、
というのも、ある意味、心の安らぎとなる要素だ。全国小京都
会議というものがあるが、最初は「われこそは小京都」という
具合に多くの都市、街が加入したが、考えてみれば全国の商店
街に「~銀座」が乱立と同じで「小京都」を名乗るのもみっと
もない、なにより京都ではない、、例えば「金沢は金沢だ」と
いう自意識が出てきて、小京都会議を脱退したという。他にも
脱退した市は多い。だが「小京都」と云うなら山口市は確かに
見栄でなく、「小京都」が似合った街だと思う。鴨川と同じよ
うな川が街の中を流れている、NYタイムズ紙「2024年、行くべ
き52か所」に選定された観光の魅力、静かなる観光である。52
か所で第3位だという。瑠璃光寺とか洞春寺、常栄寺、さらに
中原中也記念館山口祇園祭など、
といって観光目的で終の棲家とするわけではないから、とに
かく文化的な魅力が十分に備わっているという街である。
誰も知った人がいない、誰も私を知らない、都会すぎず、田舎
すぎない、風情がある、気候はまあまあ(と思う)、
結論は徹頭徹尾の妄想である。実現性はゼロである。
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