武田繁太郎『風潮』1953,後年「芦屋夫人」で著名となった小説家の作品、水上文学のようにはいかない
まず整理すべきは作家、小説家には武田麟太郎、武田繁太郎
がいて。また武田繁太郎には同じ名前で教育者・歌人の人物も
いた。武田麟太郎1904~1946,大阪出身、参考から東大仏文、
代表作『日本三文オペラ』、武田繁太郎、1919~1986,神戸出
身、早稲田大独文卒、『芦屋夫人』1959,『自由ヶ丘夫人』
1960,『銀座夫人』1962,などで一世を風靡、・・・・・丹羽
文雄は銀座のホステスと結婚したが結婚後、妻がメモっていた
関係した男の名前に武田麟太郎があって、以後、妻と同衾しな
くなったという逸話もある。なお繁太郎は「しげたろう」だ。
で、『芦屋夫人』は有名な言葉!となって残っているが、それ
を書いた武田繁太郎の名は忘れられているといっていい。1953年
の作『風潮』、
菊乃という古い商家の出戻りの娘が、西本願寺系の旅の布教僧
と駆け落ちする。布教僧は旅先の寺々で説教を行い、その謝礼の
金で酒に溺れ、女を買うという破戒僧であった。駆落ちはやった
ものの、二人は京都の宿で貧困のドン底に転落してしまう。
そこへ姫路に近い被差別部落にある無住の寺の住職になること
を檀家から誘われる。これに至って菊乃が乗り気になった。結局、
その二人はその寺に住みついた。時代は第一次世界大戦で空前の
好景気となっていた大正四年、、1915年のことであった。
菊乃の野心は、この寺で住職をやっている間に金をため、機会
を見つけてリタイアし、余生を送るということだった。だが十五
年戦争、対米戦争のさなかに住職の亭主は死んでしまう。戦後に
なって菊乃が思いついたのは、後継ぎの養子をもらって、それで
まず収入を確保し、可能なら楽隠居したい、ということだった。だ
がそれも浅はかな考えでしかなく、ことごとく破綻し、菊乃が56歳
のとき、寺から追い出されてしまった。
何か水上勉の小説とも似ているように思えるが、途中まで菊乃と
いう女性があまり描かれず、亭主の住職ばかり描いて養子の話くら
いになって初めて菊乃という女が浮かび上がるようだ。
時代は大正4年、1915年から敗戦、1945年すぎくらいまでだが、そ
の時代背景がこれもあまり描かれていない。被差別部落と寺院、西本
願寺系という、ちっと考えれば錚々たる材料があって、なんだか作者
が意識過剰になったのか、前半のぎこちなさはひどい、構成も堅苦し
い。菊乃が寺から追い出される経緯だけ描いて、水上作品のような深
み、情念はほとんどない。この作品が無名なのもわかるというものだ。
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