ジェリー・ギースラー『ハリウッドの弁護士 ギースラーの法廷』1963、明白な有罪を巧妙な法廷戦術で無罪のどんでん返し、果たして正義か?
1963年、弘文堂から。ハリウッドきっての辣腕弁護士、
ジェリー・ギースラーの法廷戦術を描く一種の半自伝である。
自らが関与した事件を中心に描く。
かくも辣腕故に、「もし殺人事件が起きたらまずジェリー
・ギースラーを呼べ、次に医者、最後に呼ぶのが警察だ」と
さえ、さらに「ハリウッドの美男俳優が法を踏み外したとき
に示す最初の反応が『ギースラーを呼んでくれ』だ」と、な
どなど、ちょっと胡散臭さを感じさせる話だ。
その腕利きぶりで弁護士生活30年にわたる法廷での「勝利
の記録」を披露しているのだ。輝かしい勝利の羅列だ。
超大スター、チャップリンとエロール・フリンの強姦事件、
グレタ・ガルボの借金踏み倒し事件、ロバート・ミッチャム
の麻薬事件、エドワード・G・ロビンソンの息子の強盗事件、
さらには客の前での入浴を披露の「公然猥褻事件」とか日本
人ヤクザの殺人事件、それらが非常に綿密に述べられている。
これらは、どう考えても有罪、誰が見ても有罪という事案
なのだが、、それをギースラーは何ヶ月もの徹底した調査、
それは不眠不休であり、渾身の法廷への努力でポイントを「
細身の剣で何度も突く」という法廷戦術で、ことごとく、最
後はドンデン返しの無罪を獲得しているのだ。まさかの大逆
転である。
それを痛快と思う人はいるかもしれないが、この世の悪に
当然の罰をと考える向きには、どう見ても正義に反している、
としか思えないだろう。その場に応じてのご都合主義に徹し
ている。ある裁判で妻と抱き合う愛人を、妻もろとも銃殺し
た夫、これを「人は家庭を守り、破壊から防ぐことを許され
る不文律がある」として最終的に無罪に導くが、他の裁判で
は愛人と共謀して夫を殺した妻をやはり無罪に導く。その都
度、「不文律」が都合よく変えられている。
アメリカでは陪審員制度がある。陪審員はギースラーに騙
れたのか?「十二人の怒れる男たち」の映画もある、日本か
た留学の高生がハロウィンで浮かれて仮装し、見知らぬ家に
夜間入った、家の主人が「Freeze」と警告したが、理解出来
ない留学生は構わず進み、ライフルで射殺された。これはギ
ースラーの事件ではなく比較的新しい!が、これも陪審員は
正当防衛で無罪の表決をした。これがアメリカだ。その典型
がギースラーだろう。「誰が見ても明らかな有罪」をあれこ
れ屁理屈で無罪に持っていく、この自伝は相当、自慢げであ
る。翻訳の出た1962、ギースラーは亡くなっている。
Jerry Giesler 1886~1962
日本の留学生、住所を間違えてハロウィンで家に侵入、
射殺される。陪審員裁判は無罪でも民事で多額の損害
賠償判決で発砲した男性は自己破産、離婚し、一家離散
となった。日本人高校生の留学が生んだ悲劇である。
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