「柳に雪折れなし」病身でもなんとか生き抜けるか、原田康子さんに学ぶ


 最近とある雑誌で、と云って古書だがあの作家の原田康子
さん、『挽歌』で一世を風靡、生涯、北海道在住で筋を通し
た気骨あふれる女性作家1928~2009,による「私の健康」と
いう随想をを読んだ。そのタイトルが「柳に雪折れなし」で
ある。原田さん、33歳のときの、

 ちょっと引用させていただくと

 「私はたいへん痩せていて、身長は156cmとそこそこあるの
だが、目方は十貫そこそこしかない。調子が良くて十貫(37.5kg)
、ちょっと調子が悪いと九貫六百になる。

 私の家族た友人知人は、骨皮スジ子さんとか、センコウの四つ
割などと云ってばかにするし、初対面の人は、『どこかお悪いん
じゃありませんか』とたずねる。しかし、見かけほどではない。

 小さいときは随分と病気もした。リンパ腺炎で手術もしたし、
急性腎炎で一夜で顔が二倍ほどに膨れ上がったこともあるし、心
臓脚気(註:別に脚気ではなく、動悸、息切れなどを示す俗な表現)
の発作であの世に生きかけたこともある。13歳のときは肺浸潤で
半年寝た。子供だったせいで進行も早いが、回復も早かった。そ
れでも十代の終わりくらいまでは、軽い肺浸潤を繰り返した。一
年の三分の一はお医者さんのお世話になっていた。いってみれば、
私は医者の白衣と薬品の匂いの中で成長したようなものである。

 病気と縁が切れたのは二十代になってからである。勤めに出たり、
結婚したり、精神的に一人前になると同時に、体もなんとか人並み
になったようだ。もう結婚して十年近いが、その間、一度も大病は
ない」

 最後に

 「私は病気になるのはまっぴらだが、病期の心配をするのは、な
お、まっぴらである。私のような比較的丈夫でない人間は、ことご
とく病気を怖れ始めたらきりがない。リンゲル、カンフルを打たれ、
何度も生死の境をさまよった私は、例えば中耳炎、口内炎は病気の
うちにはいらない。

 かなり無理をしても口内炎、気管支炎くらいで済んでいるのは根
は丈夫だからだろう。柳に雪折れなしの喩えどおりで、この調子で
80歳くらいまでは生きながらえそうな気がする」

  1961年12月、札幌の自宅での原田康子さん

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 ということで、原田康子さんは81歳まで生きられた。的確な予測
を早い段階でされていたことになる。あの当時、今より、平均寿命
はかなり低かったから、「80歳まで」とはじつは相当な自信という
ことになる。

 私は正直、こんな持病があるから、原田さんも急性腎炎、顔が二倍
二、だがそれと同じだったが、親の誤った判断で回復したのにだらだら
入院、余計な投薬でこじらせ、大悪化。さらに高校が遅れるという人生
の大損失、あれから人生めちゃくちゃになった。病気は引きずったまま、
だから今日か明日、死んでも不思議ではないし、何歳までいきるなとと
到底、云えない。だから「起きない熟睡」くらいに思っていたら、何も
怖いものでもないと、ギリシャの哲人の思想を学んでいるわけである。
ただ体調の悪さは本当にイヤなもの、体調さえよく生きられたらそれ以
上、望むものはないのであるが。日々、養生ということであり、命など
さっぱり先行きはわからないというのが正直な気持ちだ。

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