村松剛『文学と詩的精神』1963、「異邦人」から宿命を追求する
1929年生まれの村松剛が1963年に刊行した最初の文芸評論
集である。村松剛とは、はて、本職は?とつい思ってしまう
のだが、基本は文芸評論家である。母親の父親、まあ母方の
祖父があの英文学者の田部隆次である。
33歳前後での本である。若いと云って、文芸評論家として
はある程度の年数を経ていた。作家でなく文芸評論家とは、
また難しい商売であると言える。なかなか出版社に本を出す
ことに、取り合ってもらわない。文芸評論は売れやすいもの
ではないからだ。
この1963年、初頭に出された評論集は村松剛のそれまでの評
論の半分もあるはずはない。「日本の象徴主義」についての評
論が多数、収められているが、やはり最も力がこもるのは冒頭
「リアリズムへの疑惑」だろうか。それはフランス文学専攻だ
った村松にカミュの「異邦人」が投げかけた問題であるが、そ
の考察の基本理念この本、全てに影響しているようだ。
村松の云うには、・・・・「異邦人」のムルソーは、つまり
主人公だが、最後の訪れる死が、人生のあらゆる行為を無意味
にしてしまうことの意味について語るのだ。その無意味さが人
生の宿命であり、それは人類すべてに共通だという。それは宿
命というべきだが、宿命を完全に生きることが人生に価値をも
たらす所以であり、その宿命が万人に共通であること以外に、
人間の連帯性はない、カミュが神による救済を拒否したうえで、
それに代わる理念として、宿命というこ言葉を発したのだと。
孤独な自己を支えるものはなにか?
これは「異邦人」の問いかけであり、同時に村松剛の出発点
となっている。文学は危機意識、限界状況によって支えられ、い
っさいの文学の根底では通念的な死を拒否するという希望がある。
死の光が一切の営みを無意味にするならば、人はその中でどの
ような世界を織り上げるのか。それを自ら問うて、村松は答えを
用意していない。わずかに「宿命」という言葉を見出し、「宿命」
を完璧に生きるという先人たちの生き方を振り返る。
それは、例えばだが、仏文絡みで云うなら、日本でフランス象徴
主義の影響下に生きた文学者たち、岩野泡鳴、富永太郎、朽葉、中
原中也、萩原朔太郎、小林秀雄らの系譜なのであるという。
村松のテーマ追求は一貫しているようだ。生涯のテーマとする、
というべきか。
しかし、である、・・・・・・
昭和20年代だろうか、広津和郎と中村光夫との間に「異邦人」論
争なる、ちょっとした論争があった。つまるところ、東大仏文出の
フランス文学至上主義、それは松村剛も同じにわけだが、広津和郎
が「異邦人」に格別、新たな意義は見いだせない、という実は常識
的な見方を示し、これに中村光夫が反発した、のだが、松村剛が咆
哮する「人間死ぬから生きた時になしたことは無意味」は、どう考
えようとも自由だが、「それがどうした」、生が有限をもって無意
味もバカバカしいと思えてならない。
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