藤沢周平『市塵』1986,新井白石の評伝的小説、その人間性の全体像を描く
これは多分、藤沢周平の代表作の一つと見なしていい。1986
年9月号から1988年8月号まで「小説現代」に連載された作品で
ある。内容は新井白石の小説的な評伝である。歴史上の人物を
小説化する場合、要は資料を辿るしかないが、そこから文学的
な味付けがどこまで可能か、歴史離れか歴史其の儘、かという
基本的問題が常につきまとう。歴史家の書く評伝とやはり異な
ることが要求される。しかし、新井白石を描くと云って歴史を
、史実を、離れることは出来ない。読み終えて感動したとすれ
ば、それはその歴史的人物が実際、立派だったからでしかなく、
作家は資料を現代語訳して文学的に構成しただけ、となっても
仕方がない。
生類憐みの令をもってながく民衆を苦しめた5代将軍、徳川
綱吉の後を継いで甲府綱豊から後日、6代将軍、徳川家宣とな
る主君に仕え、長い不遇から幕臣となり幕政の学識提言者とな
った新井勘解由白石の物語である。将軍の側用人となった間部
詮房に天下の経営を依頼される。白石は間部より9歳年長であ
る。そこから白石の類まれな見識と博識、容赦ない幕閣への進
言、将軍家宣との3本柱で幕政は運営された。それが実際に、
いかに効率的なものであったかを作者、藤沢周平は精魂込めて
白石の伝記小説として述べていく。だが病弱の家宣が亡くなり、
7代将軍家継の時代となって白石は家継にも仕えるが去就に迷
うところで終わる。
白石はまず生類憐みの令を廃止させた。次に、幕府の財政を
一手に握る勘定奉行荻原重秀の金銀貨の矢継ぎ早の改鋳策に反
対し、天道に背くものとして反対の進言をした。これは幕政の
最大の難問で最後まで白石を苦しませた。
次に白石はキリスト教を宣教にきたローマ人、シドッチの尋問
役となった。自ら買ってでたのである。シドッチのキリスト教信
仰の該博な地理、天文への知識、合理主義の考え方という面と逆
のキリスト教の教義の矛盾に接して、大いに驚いた。また新天皇
の中御門の即位の礼にともなう大嘗祭の復活は必要なしと主張し
た。経費節減という理由と、幕府以外に曖昧な宗教的権威の誕生
に手を貸す道理はないと考えたためである。白石は「神とは人で
ある」と『古史通』で断言している。
また朝鮮通信使500名近くを迎えるのに、経費節減、将軍の称号
を日本国大君から日本国王に戻すようにと主張し、木下順庵の同
門の雨森芳州と対立した。
白石は幕政への進言に忙殺され、自らの家のことを顧みることは
ほぼ出来ず、また瀉の持病もあり、また子に先立たれた。家計はい
つみ窮迫していたが、やっと禄高も増え、家も広くなった頃、家宣
が病没、間部と白石の立場は徐々に不利になり、林大学頭一派が勢
力を巻き返してきは。順庵門下の同門の室鳩巣にも引退を勧められ
、ついに在野の人、「市塵」に戻ったのである。
果たして史実を述べることを超え、文学化は出来たであろうか?
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