杉森久英『天才と狂人の間』1962,自称天才の島田清次郎を余裕のスタンスで述べる。タイトルが光る

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 この本のタイトル自体が非常に著名である。それは本に発し
ている。島田清次郎はもう語り尽くされているが、その再発見
というべきか、母一人、子一人の貧困家庭、だが二十歳そこそ
この若さで、一挙に文壇の寵児に、文壇と云うより社会的名声
を極めた。芥川龍之介も「今の日本であの若さで、あれだけ書
ける人はいない」と評価している。

 だが伝えられるとおりの、傲慢不遜な態度、肩ひじを怒らせ
ての洋行、さらに婦女誘拐、強姦罪で逮捕拘禁という醜聞、一
気の転落、発狂、という自ら仕組んだ転落劇のようだ。

 端的に言えば非常に丹念に、また客観的に自分を天才と信じ
こんだ男の悲劇か、喜劇かを描く評伝小説である。

 「島田清次郎が自分自身を天才と信じるようになったのは、
彼があまりにも貧しく、父親もおらず、家もない身の上だっ
たからだ」と書き始めているが、何ともつかず離れずの態度が
奇妙な効果をもたらしている。

 とにかく自称天才で愚かな生き様で転落して死んだ島田清次郎
を茶化し、戯画的に描くことほど簡単なこともないだろう。だか
ら著者の杉森さんは小説的な記述を極力控え、島田清次郎自身の
手紙、日記などを数多く引用することで、自ら語らせようという
手法である。だが同時に島田の環境や周囲、社会的な背景を同時
に綴ることでその哀れさを浮かび上がらせている。

 『地上』で得た名声、「私は少年時代が短すぎた。ちょうど、夢
の途中で起こされたようなもので、あとは半分,見残した夢をみた
ようなものだ」

 素直な感慨をノートに書き綴っている。だが続編で、自分の恩人
の老僧の人格を貶めているなど、単純ではない性格を物語る。

 島田清次郎と著者は同郷である。没落した家の出も共通だ。だが
思い込みの激しさは見られず、終始余裕の少し離れた立場で冷静に
述べている。当時、『地上』の賛美にドストエフスキー、フローベ
ール、バルザックまで持ち出していたというのは今考えてもおかし
い。島田の発狂以降がちょっと短すぎるが、タイトルだけではなく
内容もスグレモノ、と云うより楽しめるものになっていると思う。

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