結局、終の棲家の場所こそが「ふるさと」、故郷だろう。
ふるさと、故郷は本当に懐かしいのだろうか。私は二十歳
すぎまで岡山県のある田舎町で生まれ、育った。生きた人生
が人生だけに、どの場所も苦渋に満ちている。晴れやかな気
分になれる場所がない、・・・・・二十歳まで生きた場所は
どう考えても、いやでも「故郷意識」は強い、はずだが、実
は今となればそうでもない。
実は私は、ある句会に参加させていただいている。いまも
って入選の経験はないが、月末に焦って投句はまた密やかな
楽しみでもある。俳句とは?私は斬新な視点を見出すことだ
とおもう。その表現、だから私は俳句は標語と非常に近い性
質を持つと思う。川柳のみならずである。季語の入った川柳
と私は思う。
で、今月である、選句期間中、私は素人でどの句がいいとも
悪いともいえない。「みんな違ってみんないい」が正直なとこ
ろである。
だが、この句、まだどなたの作かわからないが、
ふるさとは此処でいいのさ秋の雲
これは胸に響き渡る句と云わざるを得ない。実にその視点は
見事だ。別に終の棲家、とは限らないが、終の棲家を「此処」と
考えればいっそう、真実味が増す。
ふるさとは遠きにありて思うもの、とは云うが、近くにあっ
ても、遠くにあっても、もはや思うべき土地ではない。いつま
でも故郷にやたら執着、愛着、懐かしさを抱き続けても仕方が
ない。私の親が夜逃げなどやって末代の汚点をのこした土地、そ
れは確かにある。育った家庭、両親、その土地にもはや全然、何
の懐しさなどない。今住んでいる此処、この場所こそ、ふるさと、
なのだ。私だから、やはりこの土地でも苦渋なものだが、それで
も終の棲家として生きる場所、こそが心のふるさと、故郷はまさ
しく実感である。
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