偉大なる大衆・児童小説作家、高垣眸(旧制矢掛中学、早稲田卒)「快傑黒頭巾」、「まぼろし城」から「恐怖のミイラ」、「豹の眼」
正直、あの小学生低学年時代、テレビで怖かった「恐怖のミ
いいら」(宣弘社)また「豹の眼」(宣弘社、月光仮面の後継番組)
の原作者、高垣眸(たかがきひとみ)が私の出身校、矢掛高校の前
身、旧制矢掛中学の先輩とは知らなかった、卒業後、早稲田大
学卒業後、紆余曲折の末に大衆小説の道に。その作品、はどう
考えても著名な作品も含まれている。多作である。「快傑黒頭
巾」、「まぼろし城」、「豹の眼」などはそのタイトル、知名
度は高い、またテレビドラマ化された「恐怖のミイラ」、まず
私以上の年代で知らぬ者はいないだろう、心底、怖かった。
それらの作者が、・・・である。
「快傑黒頭巾」少年倶楽部文庫
「月光仮面」がせわしなく終了、続いて「豹の眼」主演はや
はり大瀬康一
御子息の高垣葵はNHKのラジオドラマ「一丁目一番地」の
脚本を書いた。藤子不二雄の「海の王子」の原作者でもある。
高垣眸1898~1983,尾道市生まれ、土堂小学校から旧制矢掛
中学(現在の矢掛高校の前身)に入学、寄宿舎生活、早稲田大学英
文科に、ちょとややこしい道を経て大衆小説作家に。戦前から
著名な作品を連発した。戦後はそれが映画化、テレビドラマ化
された。でもこの才能、活動性はやはり尾道の人、を痛感させ
る。尾道のひとはとにかく発展家が多い。
旧制矢掛中学出の作家としては私小説作家の木山捷平もいる
が本当に作家らしい作家は高垣眸だろう、作家ではないが横溝
正史の長男、横溝亮一さんも府立十中(西高校)からの転校、
卒業で同窓である。
高垣眸の経歴はWikiで読んで頂ければ詳しくわかる。なかな
か力作のWikiだ。
スポーツマンだった高垣眸さん、獲得したトロフィーを
前にご満悦
1970年、桃源社から出た「高垣眸全集」第一巻のあとがき
「銀蛇の窟」、「夜光珠奇譚」のころ冒頭部分
高垣眸
早稲田大学の英文科を出たのが大正9年、1918年、卒業式にも
出ないで、すぐ大阪に飛んで、文科の先輩、沢田正二郎の新国劇
文芸部に加わった。座長に可愛がられ、したい放題のわがままも
やったが、私の目新しい企画で大当たりを取ったこともあった。
劇団では野球部を創設したが、何よりも澤田正二郎の素晴らしい
行動力と魅力を十二分に吸収できたことは、その後の私の人生に
大きなプラスとなった。
この記事へのコメント