竹山道雄『昭和精神史』,戦後の進歩派批判というワンパターンが過ぎないか。タイトルは内容にそぐわない

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 竹山道雄、1903~1984,「ビルマの竪琴」はあるが保守派
の論客のイメージが強い。その「保守派」の原点めいた本が
これだろう。基本的には当時で云う進歩主義、への批判的ス
タンスは明らかだ。最初は新潮社から、だいぶんあとになって
中央公論などから。

 最初の4節までは左翼的、唯物史観派による明治から昭和
史解釈が全く公式的に単純に割り切ってしまうということへ
具体例を挙げて不満をぶちまけているが、いたって序論であ
る。

 次に5節から12節までが中心的部分というべきで、満州事変
から太平洋戦争に至るまで軍部内にあった青年将校たちの思想
と行動をそれなりに分析している。ここで著者は日本の天皇に
「機関説的性格」と「統帥権的性格」の二つがあるという。い
わゆる二重性格である。戦争に向かう時期は天皇の「機関説的
性格」が「統帥権的性格」に圧倒されていく時期だという。「
天皇が天皇に向かって叛乱を起こしたような事件」が相次いで
起こった時期を著者独自の解釈で述べていく。

 第二は、「軍人の団体精神」と題する8節から10節yまで、こ
こでは「軍の総意」と呼ばれた、軍のファッショ化は、最終的に
はたしかにそういう傾向はあったが 、共同謀議的な明確な一定
のプログラムによる強力な指導などなかった、実は「ただ旧体制
への反発から生まれてときの成り行きで狂乱化した」と資料をい
ろいろ引用して論証しようと努めてている。

 第三は第二の延長のようだが、昭和13年頃からの日本は軍人も
政治家も文化人にも、少なくとも表向き現れた形の上では、一応
国論の一致らしきものが出来上がり、新体制なども生まれたが、
それすら「国家体制は整然たる一元的ファシズムからはほど遠い
ものだった。それは実は戦時体制からもほど遠く、日本には戦争
遂行の体制自体なかった」を懸命に論証しようとしたものだ。そ
れを証明したかのような論述だ。

 最後の三つの節は。極東国際軍事裁判におけるローリング判事
の少数意見を紹介し、広田弘毅や東郷など戦争体制、戦時体制に
入ってむしろ、その拡大を防ごうとした人たちの真意を評価し、A
級戦犯極悪論への反論を繰り広げるが、全体の結論ともいい難い。

 この本は終始一貫だが、タイトルは「昭和精神史」と大きく出て
いるが、真の意味で「昭和精神史」ではなく、要は唯物史観派の日
本近代史の解釈に絶えず、不満と反論を示し続けただけの、全く消
極的なスタンスの本ということだろうか。

 「社会にはあらゆる要素が複合している」という。当たり前であ
るが、ともかく、この社会は複雑というのが著者の根本的なスタン
スである。それによって左翼的、進歩派の公式的解釈からはみ出し
の事例を丹念に挙げていくのだ。唯物論の近代日本史の解釈、をあ
まりに素朴なドグマ追従の割り切りが多いのは事実ながら、ドグマ
自体の誤りなにか、現実への適用が杓子定規だけなのか、である。

 ともあれ進歩派批判は竹山道雄の常道でである。戦後は圧倒的な
進歩派だっただけに、それは貴重だが、反論が消極的なスタンスな
のだ。公式論は誤り、それは正しいと思うが、竹山には堅固は思想
があるかといえばない。堅固でないからこそドグマに縛られないか
らいい、それは間違いないが、竹山もまた退屈な反論ドグマに陥っ
ているだけではないのか、と云わざるを得ないのだが。

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