臼井吉見『近代文学論争』実に周到な内容、構成の力作
日本の近代文学は西欧文学の影響を受け、明治文学が興って
から現在まで長く続く。その歴史で作家、文芸評論家の間で、
さまざまな論争がなされてきた。この本は、今から見たらかな
り前、終戦後10年ほどを経た時点でのそれまでの文学論争を集
めたものだ。なら「異邦人論争」も含まれているのだろうか。
まずは明治20年代前期の坪内逍遥と森鴎外との間のあの有名
な「没理想論争」に始まり、昭和初期の「形式主義論争」まで
を含む、これが上巻だ。
上巻では「没理想論争」、明治20年代後半の山路愛山と北村
透谷の「人生に相渉る」論争、大正初年の「白樺」論争、昭和
初年からの「文芸批評論争」、「芸術的価値論争」など含まる。
まあ、文学作品自体についての著作ではなく、一応、作品は
踏まえたうえで、その創作理念や批評の根拠を述べた「文学論」
だから、ちょっと専門的である。だが文学論争、日本に限るが、
全く用意周到な内容であり、貴重ではある。著名な代表的な評
論だけではなく、かなりマイナーな群小の評論まで丹念に集め
ているのだから。
で、最初の「没理想論争」、文学史的には非常に有名でも実
は内容は全く他愛ないものでしかなく、それは別としても、
大正前半から中期までの「人生相渉」論争、「自然主義」論争、
「白樺」論争、有島武郎の「宣言一つ」論争など、直接的には
文学論争だが、その背後にはひろく人間観、歴史観、社会的思
想の問題などがあるわけで、考えさせる内容である。
それに対して大正後期、とくに昭和初年からの諸論争プロレ
タリア文学の目覚ましい発展と相まっていわゆる芸術派、ブル
ジョワ文学との間の本質的な人間、社会観で対決が迫られてい
たはずだが、論争としてみると公式論と感情論のすれ違いに
終始し、かえって人間観の貧困を露呈したのは否めない。
この上巻には約50年の間の文学論争が収録されているが、そ
れぞれの時代を賑わした論争も、その大半が用語の些細な誤解
や、感情的な反論に起因することが多く、実質的な実りはあま
りにも乏しかった、のは否めない。いわゆる「芸術大衆化」論
争の打ち止めに当たり、中野重治が書いた
「かくれ論争は、具体的な解決に寄与せず、いわばそれ自身
の中に迷い込んでしまった」という反省めいた言葉はほとんど
の論争に該当しそうだ。したがって多くの論争も現実的な解決。
問題の発展には何の貢献もなかったと云うべきだろう。換言す
れば、半世紀以上も全ては足踏みをしていた、わけであうる。
著者の臼井吉見は明末期の石川啄木の批判的態度を何度も高く
評価している。まさにそのとおりであり、明治42年に啄木が
「自然主義」論争で「道徳の性質及び発達を国家という組織か
ら分離して考えることは極めて明白な誤りである」というのは
普遍性を持つ言葉である。
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