小野十三郎『現代詩手帖』抒情の本質を問う

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 私は以前から疑問を抱いていたのだが、「詩」というもの
が本当にあるのだろうか?「これが詩です」と、詩集を出さ
れたら、「詩そのもの」というものは分からない。それは形
式なのか?芥川が「小説の価値はそこの含まれている詩的精
神によって決まる。筋ではない」といって谷崎との論争にも
なったものだが、では「詩的精神」とは、である。もちろん
抒情は含まれるだろうが詩的精神はイコール抒情でもない。
人の香しい精神そのものなのか?なら別に「詩」と名前など
つけなくてよさそうだ。

 以上は本書とは特に関係はない。

 この本は詩人である著者、小野十三郎が、戦後の日本の
詩の動向と、自らに課した作詩法を語った、現代詩の解説書
のようなものだ。

 「現代詩とは何か」、「現代詩の書き方」、「現代詩の味
わい方」の三つの項目に分けられ、最後に「どんな本を読んだ
らいいか」と参考書を挙げている。

 著者は「現代詩とは抒情の内部にある批評の要素の自覚から
出発した詩である」という。ここから抒情の問題、思想、科学
の結びつきを述べる。

 感情をもって訴えること、つまり抒情の作用は、ものを考え
ること、批判することとは別の心の領域に属するものとして、
詩の本質は抒情にあると云われているが、抒情を二者択一的に
取り上げるのは適当ではなく、考えること、批判するというこ
とは抒情の作用と無関係でないばかりか、むしろ抒情の性質を
決定する重要な要素だというのだ。現代詩は知性を重視し、ま
た抒情を否定するわけでもない。

 それがモダニストの詩人たちが古い抒情を否定した革命的な
役割は認めねばならないが、抒情は詩にとって必須の要素であ
る。これを漠然とした「音楽」の状態で捉えるのではなく、こ
れを「批評」として感知できる能力が問題となり、、これを自
覚して出発するのが現代詩の著しい特徴だというのだ。しかも
、この批評として感知できる能力の芽生えは、単に少数の前衛
的な詩人の間だけではなく、今日では広く一般大衆に広く見ら
れることに注目しなければならない、という。

 小野十三郎は、このように現代詩の特徴をを見て、現代詩をT
・S・エリオットの詩論を引用し、「歌う詩」ではなく「考える
詩」であるともいう。「考える詩」といって社会思想やイデオロ
ギーが政治的決意が表にたったかっての、プロレタリア詩人の詩
ではなく、「思想を完全に情緒化したかたちで表す」ことであり、
そのためには確固たる思想の力を必要とする。

 「つまり詩人は、己の思想に依って、古い情緒を破壊し、情緒
の性質をあらためて獲得し、初めてその思想を活かしたことにな
るという
 
 一般に、詩の本質が抒情にあると云われるのは、著者の小野氏
が云うように、必ずしも抒情の作用が、物を考えることと別の領
域にあると考えることはない。詩の本質が抒情にあり、詩が抒情
詩をおいて他にはない、と考えて差し支えはない、ということで
はある。

この記事へのコメント

killy
2024年10月08日 18:11
小野十三郎の詩は文芸春秋に時々載っていました。ファンになりました。