宝の持ち腐れだった自動二輪・限定解除,大型バイクは迷夢と終わりけり

私の大学生時代、というより遥かそれ以前だとは思うが、
若者にはバイクが凄まじい人気だった。男子大学生の、も
しや最大の関心事、楽しみという点での関心事はバイクで
あったと思う。そもそも私は家庭環境、状況から乗り物に
はほぼ関心はなかった。親といえば、父親だが。、運転免
許は生涯、いわゆる軽自動車免許のみ、360ccまでの軽自動
車しか運転できなかったが、普通免許を取得しようという
当然の気持ちが皆無だった。軽自動車免許はごく初期は「
講習」だけで普通免許が取得できたが、それさえ受けず。
以後は限定解除試験で普通免許取得ができたが、最後まで
受けなかった。軽自動車免許は1968年9月に廃止されてい
たというが、ではその後の免許は?1977年6月に亡くなった
のだから、廃止された免許で運転、更新ができたのか?と
疑問を感じる。でも本当に向上心のない人間だった。
余談を述べたが、とにかく自動二輪免許とは元来、なん
の限定もなく、排気量に無関係に乗れたものだが、だんだ
ん免許条件が厳しくなり、原付き、125ccまで、400ccまで、
さらに401cc以上は「運転免許試験場」で「限定解除試験」
売けなければならない、というところまで行った。限定解
除は自動車教習所では出来ないことになったのである。し
たがって401cc以上の大型バイクの免許取得は至難を極め、
大型バイクの売上にも国内だけだが、大きな影響がながく
続いた。現在では教習所で限定解除が可能だという。
私は大学入学前、家庭の経済が破綻し、とにかく貧困な
大学生活を送った。下宿は家賃1万円の最低レベル、昔は今
のようなマンションに住む大学生は普通は稀であった。で、
バイク?大学時代は二年でやっと普通免許取得、自動二輪
免許はほしいと思いながら、そもそも免許がないから乗れ
なかった。都会では駐車場の関係でバイクしか乗ることは
出来ない。まあ原付きなら普通免許で、だがそれさえ高額
だった。
園山俊二さんは早稲田漫研、学生時代から漫画の腕はかな
りなもの、でも就職試験で一流は落ちて漫研の先輩の紹介で
ある広告代理店、その初出社、初日はCM撮影のセットを組
まされたが昼休み、ランチに出かけ、そのまま戻ることはな
かった。会社での仕事のあまりの殺伐さに「苦労は多くても
漫画一本で行こうという気になった」そうだ。私はこの世で
最もキライなのが「会社」である。あの、なんとも、再び
使うが、あれほど殺伐たる場所はない。付随して労働組合
もキライである。何がいい?自由業、である。かくして、
私の大卒後、法学部もあって資格取得の勉強をしようと、
あえて就職はやらなかった。正確に言えばすぐやめた、と
いうことだが、やめて持ち物を整理して帰宅の心境は本当
の清々したという思いだった。
ということで自由時間は生まれた。念願の自動二輪免許を
とこれは教習所へ。妙なトラブルもあったが、結果的に取得。
ならば限定解除、明石の運転試験場通いが始まった。バイク
な何とか安物中古、本田CB250ホークを買えたが不満足なバ
イクだった。
とりあえず司法書士あたりから、と思ってナイトがてらの
勉強だが、やはり法律は性に合わない。高校時代のクラスメー
トは浪人して京大理学部、そこを出、京大医学部再受験、合格
の情報を聞いてこれでは惨めと思わずにおれなかった。サラリ
ーマンでこき使われ、使い捨てなど人生最大の悲劇、自分で確
固たるハイレベルの資格を取得しないと、とその一念であった。
理数系の低劣は自覚していたが、・・・・・・。
そのような生活からついに十数回挑戦で自動二輪限定解除、
だったが、・・・・・今も昔もバイクは高いのである。バイ
トでかろうじて生活では新車で大型バイク購入など夢のよう
な話である。そこからまた受験騒動の日々、大型バイクは買
えなかった。
バイク?今なから買えますが、何より重要はバイクに乗る
には年齢制限があると思うべき、ベテランライダーが大型バ
イクによく乗って重大事故を起こしています。もう時期を失
しました。自動二輪限定解除もムダになりましたが、われな
がらよく取得できたとは思います。
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