庄野潤三『ザボンの花』いたってのどかで健康な家庭小説、昭和30年頃?武蔵野に越してきた家庭を描く

 
 いくつかの話から出来上がっているオムニバス小説である。
実は中学一年だったか、「大阪書籍」の国語教科書に『ザボン
の家』の中の一つの話が載せられていた。その挿絵も夏休み
の子どもの光景のようで、まさに非常にのどかな田園風景で
あった。余談だが大阪書籍の国語教科書は非常に掲載された
内容が素晴らしかった。有名作家などでなくとも地味な市民
の文章でも忘れられないものがあった。「小倉城物語」も印
象的だった、執筆者は島岡?といったっけ、高校生が書いた
という文章だった。今はネットで検索しても全く情報がない。

大阪書籍 中学国語一年 教科書 1961年より

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 さて、なかなか著名でもある「ザボンの家」、

 大阪から東京へ越してきた矢牧一家、都心から遠く離れて
いる野原の中にポツンと建っている家に住んでいる。転勤だ
というので、わざわざ急いで建てた家なのだ。この家には夫
婦と小学四年の男の子と、二年生の女の子、まだ幼稚園以前
の男の子と犬が一匹である。隣と云えば、麦畑を超えた所に
ある村田さんの家で満州から引き揚げてきた人で女の子が二
人いる。

 まず親しくなったのは子どもたち同士で、麦畑に沿った小
道を往復し、遊んでいる。二人の主婦もすぐに親しくなり、
子供に負けないくらい、頻繁に往来している。また互いに、
押し売りなどには共同の防衛策を講じている。

 矢牧一家が越してきたのは、まだ麦が青い頃で空にひばり
がさえずっていた。学校に行く子どもたちはの関西弁はすぐ
に失せたが、家にいる四郎は大阪弁のままである。家に周囲
には徐々に樹木が植えられ、家族も新しい土地に馴染んでき
た。エビガニを見つけてきたりしているうちに夏が来た。

 上の子、二人は大阪の祖母の家に行く。東京に戻ってきた
らもう夏の終わりで宿題に忙しい。矢牧家では村田一家を招
いて子どもの誕生会を催す。矢牧の妻の千枝は「ザボンの花
の咲くころは」という好きな歌を歌おうとするが、歌詞を思い
出せない。・・・・・・ここでこの小説は終わる。

 小説ではなく、2つの家庭の日常生活を描いたスケッチ風の
エッセイだろうか。登場する人物は至ってみな健全である。
家庭を中心に生活は営まれ、その中で理解と愛情を深めていく
のである。矢牧は「大風に向かって、プラタナスの大枝の上か
ら嵐だあー」と叫ぶ精神を持った子供を育てたいという。妻も
同感している。

 こう書くと当たり前過ぎて無刺激なだけの面白くもない作品
に聞こえるかもしれないが、人物の性格が実に細やかに描かれ
ている。作家の才能である。

 時代は発表が昭和31年だから昭和20年代末期くらいだろう。
社会的には騒々しい、また不景気な時代だった。それにしても、
のどかすぎて、小津安二郎の「麦秋」みたいな感じを受けてし
まう?「麦秋」よりは上である。

 あとがきに「人が読んでどの程度に興味があるかどうかは問
わず、自分の書ける範囲で、ある時代のある生活を表現した」
とある。とりたてて分析する必要もない作品だろう。

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