江口渙『わが文学半生記』1953,不遇な作家による冷徹な観察


 江口渙はプロレタリア作家に位置づけられる、しかも典型
的な、だが実に不遇で世間的には名声をまるで勝ち得なかっ
た。しかしその文壇交友は広く深い、以前『続わが文学半生
記』について書いた気がする。

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 この本は著者、江口渙が師事した夏目漱石とその弟子たち、
並びに著者とほぼ同時に文壇に出た芥川龍之介、菊池寛、佐藤
春夫、宇野浩二、有島武郎らについての思い出を語って、自ら
の文学的半生を回顧したものだ。

 実際、身近で接した経験がないと到底知り得ない話が多く、
例えば漱石が亡くなった日に、漱石の書の書き損じが高い本
箱の上にまるめて溜められていたのを久米正雄が見つけ、「い
いものを見つけた」とばかりに、仲間で分配したことを小宮豊
隆ら、先輩たちの顰蹙を買った話とか、菊池寛が佐野文夫のマ
ント窃盗の犯人身代わりとなったのは佐野への同性愛だったと
か、宇野浩二が「うちのヒステリー」という愛人に散々な苦労
をさせられる話、とか。

 芥川が谷崎潤一郎と平安文学について論じあったとき、谷崎
の気迫があまりに激しく、相手をねじ伏せるという雰囲気が生
まれ、「そのたびに、さっと芥川の顔に赤味がさし、谷崎を見
据える眼には苦痛の情が光っていた」

 まさに身近に著名文壇人に接した人でないと書けない内容な
のだが、同時に単なる見聞ではなく、それなりの人物論になっ
ているのが魅力である。

 「菊池寛はあらゆる場面でこれは『ソン』とか『トク』とい
う計算ですべてを決定した。しかも徹底していて、それがやが
て習性となってあのような後年の菊池寛となった」没落武家で
育ち、貧乏が骨身にしみていたせいとは思うが。

 久多川については「自分ひとりだけは誰からも愛されたい、
しかも一番多く愛されたいという甘さがあった。一脈の弱さ
をもった愛情の上でのエゴイズムがあった」なるほど、芥川は
しょっちゅう、エゴイズムという言葉をよく使ったが、なるほ
ど、そういう意味だったのか、と納得もさせられる。芥川が書
簡で「エゴイズムを離れた愛があるのか」としきりに訴えてい
たのは「人の愛情を独り占め」という意味だった、とわかれば
氷解である。

 だが同時に、著者は短所ばかりでなく、長所も率直に認めて
もいる。最初、武者小路実篤の『その妹』を痛烈に罵倒したこ
とを反省し、「その批評の中で、私は実に大きな間違いをおか
していたことを、い間にして発見するのである。それは、あの
中にある反戦要素を全然見落としていたことだ。原因は当時の
私の世界観の低さに存在していたのだ。こういう私の欠陥は、
後年になってみたら、まことに穴があったら入りたいくらいで
ある」

 どう見ても江口渙は不遇な作家である。地味で知名度は非常
に低い。だが冷徹な観察眼、洞察力はある。初期の角川文庫で
数多くの解説を書いている。例えば「久米正雄・学生時代」の
初版だろうか、印象に残る。またその記述に妙な僻み根性も見
られない。文壇裏面史と思えば誰も知らないような貴重な内容
ばかりでらう。早々と通常のブルジョワ作家の道を捨て、世に
容れられにくいプロレタリア文学の道を誠実に歩んだ。その半
生記としても読み応えがある。

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