久保田万太郎『樹蔭』1951、戦時下に滅びゆく東京の予感を哀愁をめて語る
久保田万太郎は何か俳人と思われているが、どこまでも俳句
は余技であり、自分は小説家、劇作家と考えていた。だが俳句
への評価が高く、小説となるとそもそも読もうにももはや読む
こと自体が難しいのではなかろうか。
この『樹蔭』は実は昭和19年、1944年6月から8月まで東京新
聞に連載された作品である。
リアルタイムの設定のようで昭和19年、サイパンが陥落した頃、
「つい自分も東京っ子になったような気がいたして、どうやらこ
れでは満州に帰るのがいやになりそうで・・・・・」と奉天でお
座敷の洋食屋「あけがらす」を経営している男が、浜町河岸に近
い町会事務所で語った言葉だ。
小曽根五十吉という男で、新内の太夫であった。15年前、師匠
と衝突し、東京を離れ、妹の主人の世話で奉天で生活している。
そこで小成功を収めていた。その妹の主人が亡くなり、戦時下の
東京へ満州から里帰りした。その妹は昔、常磐津文字由喜の芸名
で寄席で評判を取った女である。
文字由喜と並んで高座に出ていた延千枝の妹は、いま五十吉が
話し込んでいる町会事務所で働いている。五十吉はそれを知らな
い。
五十吉の町会事務所での話し相手は事務所を預かる常次郎とそ
の昔からの友達の落語家、柳亭千枝である。常次郎は浅草の馬道
の露地に住み、千枝の家は東駒形にある。
「といってる今日もまた警戒警報が出て、それがたちまち空襲
警報にかわるかもしれない」
「それはそうさ、空襲必至は三年前からお上がいっているセリ
フだよ」
「いやなんだ、おれはそのセリフが」
と話す二人は江戸っ子である。だから満州から来た五十吉が「
つい自分も江戸っ子になったような気がいたして」というのだ。
五十吉は東京への記者の中で常次郎と偶然に知り合った。五十
吉が問わず語りで話した彼の運命を司った大事な人、石原さんは
当時は大新聞の学芸部の人だったが、今は常行寺の住職であり、
しかも常次郎のいう麻布飯倉の「叔父さん」だった、ある大学の
先生の豊蔵の俳諧の友である。その石原さんは文字由喜も知って
いる人である。
とまあ、こういう具合で相互に因縁の糸の絡まった中で、これ
らの人々は結びつけられていくのである。どれも江戸っ子という
か、東京っ子ばかり、作者も東京っ子である。この小説はその因
縁の深さを、不思議さを説いたものだろうか。五十吉の目を通し
て、戦時下の強制疎開で姿を変えざるを得ない下町を惜しむもの
である。このような戦時下でも東京を懐かしむ、それがわかる仲
間で寄り合い、仲間だけで通じる言葉、その感情、情緒を慈しむ
、それがテーマというか狙い目の小説だろう。独自の義理人情の
世界、いかにも日本的なヒューマニズムである。翌年三月一日に
は東京大空襲で下町は灰燼に帰した。滅びゆく下町の最後の姿と
いうべきか。
五十吉が満州に帰り、常次郎に宛てた手紙で終わっている。
「それにつけても東京を、だいじなだいじな東京をくれぐれも
空襲よりおまもり下されたく候」
その願い儚く散ったのである。
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