永井荷風『断腸亭日記』、大正三年から昭和三年までの部、筋金入りの個性と教養と孤高
「赤裸々」という言葉がある。私は中学生の頃からこれを
「あからら」と読み習わしてきた。が、それが「せきらら」
と読むと知ったのはその後、・・・・・その「あからら」な
らぬ「赤裸々」な内容、まあ日記だから当たり前なのだが、
大正3年、1914年の9月から筆を起こし、昭和3年、1928年
、大晦日までの永井荷風のの日記が『断腸亭日記』なのだ。
ともかく明治、大正、昭和と孤高の生活を続け、なんとも
個性豊かなキャラクターでたくましく作品を執筆して生き抜
いた永井荷風の日常がよくわかる日記だ。しかも事細かであ
る。
だが浅草での遊び人、を想起してはならない。根底に流れ
るのはどこまでも人間、人生、文学への真摯な探求であると
思う。その関心は広く政治、、経済、社会問題へと及んでい
るが、また身辺雑記、交友関係についても日記だから当然、
何かわまず書いている。筆致、その心境は怒り、警世、自嘲
、達観と複雑。身辺雑記はやはり好き者は隠せないが、性的
な内容は多く、またルソーの「告白録」に通じるものもある。
だがその精神性はやはり俗ではなく、別に下品とも感じさせ
ない。並の人間ではない。
また独自の人間きらいもあるが、それは人懐っこさの反面
とさえ思われる。羽目をはずすが、さりとて極端に走り、破
綻をきたすことがない。やはり江戸の文人の遺風、精神性、
豊かな教養、古典文学の素養知識の深さ、広さはさすがであ
り、節度が見事に保たれ、凡俗にも陥らない。
荷風は鴎外を最も尊敬していたようで、公職ゆえ文筆から
遠ざかるを聞いて悲歎に暮れ、「生蕃」の要望は護送する
警官よりは温和で陰険さがない、と官憲を皮肉る。親類縁者
との付き合いは避けるが、実家には無限の惜別をも感じ、亡
父や母親への孝の心理も不足はない。亡父の忌日にはその肖
像に花を供え、母が来訪と聞いて書斎を清掃、室内には香を
焚くという洗練、まさに清雅な人柄である。
世間が自分を傲慢不遜な変人というには、あえてそれを甘
受である。醜悪な部分も容赦なくありのままに書きつける、
心中は慙愧に耐えないが将来の戒めとすると説明する。
社会の騒ぎ、革命を好むモノありと知っても別に自己は煩
悶もせず、江戸戯作者のひそみに倣い、反権力の精神を薬籠
中のもの年生きる。獄中の柳北が鉄窓の下にあっても余裕綽々
であったことに深く打たれ、文壇人には礼節を期待し、大震災
後の暴力行為には深く遺憾の念を抱く。忠君愛国に名を借りて
悪辣な行為を行う結社を厳しく批判、それは昭和3年のことだ。
とにかくその個性は筋金入りであり、日記最後では、友人
らが荷風は多幸者というが、自らもそう思っていると述べ、五
十年の生涯で夢見の悪いことは何一つ為したることなし、と結
んでいるのである。
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