冗談でなく人生100歳スタートは検討すべき必要性

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 もちろん現実には老化、寿命は襲ってこようと、100歳での
人生の再スタートは実は現実の検討すべきテーマだろう。こ
れを「たわごと」と云われたら、その通りにしても、無為無能、
浅学非才、要領も悪い生きるのがおよそ全く下手、な人間にす
ればこれ以外、いかなる選択肢があるのか?なのである。才能
に恵まれれば、たかが二桁人生でも驚くべき業績を残し得るに
しても、悲しいかな、才能といえるほどのものは、さっぱり。
逆にマイナスの才能には恵まれているのが精々である。実際、
ぼんやりしていたり愚行に終始していたら人生は瞬時にすぎる。
かりに100年生きようと、まともに一冊の本を読破マスターでき
なかった、など現実の姿である。比類なき才能、また世渡り上手
で立身出世し、名声を獲得できるほどの努力の才能にも恵まれる
ような人間なら100歳までの人生で十分だが、凡人はどうすれば
いいのかである。

 救いようなのないバカは100歳スタートを真剣に検討すべきで
ある。100歳までは、のんびりマイペースでいいわけではなく、
100歳から第二弾ロケット点火となるには、とぼしい才能でも日
々の地道な努力を積み重ね、初めて可能となるわけだ。・・・・
・・・、で100歳まで生きられる?生きても、その後も元気活動
できる?それは正直、全くわからない。私などは深刻な持病を引
きずって今日の生命も分からない、くらいだが、そんな私でも、
ともかく100歳からのリスタートを人生の設計図に描かないと、
にっちもさっちもいかない、何もなし得ない、別にこれはカネを
儲ける、財を成すという意味ではない。ただ100歳以上を想定す
るなら身体が動かない、極端に動かしにくい、生活費にも事欠く
では生きる資格などそもそもない。まして子供たちに迷惑をかけ
るなら、さっさと死ぬのがベストである。生きるための条件を
整え、獲得しての上にのみ、可能な人生設計である、当たり前の
ことであるが。

 100歳リスタ^トはそれ自体が目標ではなく、次の目標への単
にスタートと云うに過ぎない。健康管理がその基本にあるし、
経済の基盤を固めることも必須である。私のようにサラリーマン
生活もろくになかった人間は年金も今後は全くあてになりにくい。
生きる価値の追求のための生活の基盤を確立、そのための最低限
の財テクも必要となる。もっとも下手な投資などやらない方がい
い、投資信託、ましてNISAなどはである。たとえ今日、命が尽き
ようとも想定する人生の計画は謙虚なる100歳、再スタートであ
る。生き抜いて無能の証明も一つの到達点である。

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