石川達三『最後の共和国』1953、「未来小説」で2026年から2027年にかけての一年を描く

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 昭和28年、1953年の石川達三の作品である。あまり知られ
ている作品ではないだろう。実は終戦後、1946年に石川達三
は衆院選に立候補したことがある。その社会的、政治的関心
は小説の世界にも広く及んでいた石川達三だが、これは意外
な未来小説である。未来とは超未来ではなく、21世紀、2026
年から2027年にかけての一年がその時間舞台である。そうな
ると、現実的には眼の前の時期となるが、はて2,3年後を石川
達三が言い当てているだろうか、ちょっとその点で面白い。

 2026年、人間の作ったロボットが反対に人間を支配するよ
うになる、という未来小説では、1953年でも使い古された、
あまりに陳腐な筋書きである。

 で石川達三(以後作者と)が考えたロボットは鉄とアルマイト
で出来ていて、外見は「人間と少しも変わらない、皮膚は弾
性ビニロン、髪はナイロン製」ビニロンとはまた懐かしいが、
内部は真空管、コンデンサー、ゼンマイや電池というもの。
ちょっと時代をよく現しているという、つまり夜店のオモチャ
ていどのロボットなのである。でも21世紀にビニロン、アルマ
イト、真空管とは当時の批評でも「いくら何でも古すぎる」と
酷評された。未来、80年ほど未来ならもうすこし夢のある技術
があっていいような気がする。

 この小説では、こんあ夜店の玩具レベルのロボットが人間と
熱烈な恋愛を行い、作者らしく労働組合まで結成、人間を征服
というのだから笑いたくなる。「道徳構造」というメカがロボ
ット内にセットされているからだという。

 そうすると、この小説の最も重要な部分は、この「道徳構造」
となる。そこで作者によると「道徳はおそるべきものであって、
あらゆる幸福のもとになるが、同時にあらゆる不幸の減員とも
なる。道徳構造の性質は、思想となり、人格ともなり、愛情の
基礎ともなる。だが愛情というものは、教養が伴わなければ暴
力を誘発し、犯罪行為を誘発する」というのだ。

 「道徳構造」を内部にセットされたロボットはかくして、思想
をもち、人格をなし、愛情を抱くのだが、「教養がない」ために
暴力に走り、罪を犯す。

 というヘンテコリンな理屈を駆使している。作者は自分はよほ
ど教養があるとおもってか、世人の教養のなさが腹立たしい、の
だろう。ただこの作品の背後の思想は、歴史観は20世紀は自由主
義と共産主義の争いの時代だったが21世紀は人間と機械の争いだ
というのだ。単純明快だ。そこで人間は機械に征服される、が結
末である。

 ロボットの兵隊で構成の世界保安隊が出来て、それを指揮する
将軍が世界政府のクーデターを行う。それがために人間は滅亡す
るというのだ。この将軍がロボット軍隊の先頭に立って跨るのが
「肥馬」だという。これでは人類が征服されるのもやむなしか。

 作者は第三次、第四次の世界大戦を経て世界連邦の形成を小説
にしているが、それがいかなる政治組織なのか、まったくわから
ない。経済は貨幣は全廃、これは先見の明だろうか。キャッシュ
レスや仮想通貨など想定していない。いずれにせよ、現実性をも
って全く描かれていない。

 世界連邦が出来て人の交通が自由となって、ロボットも話をし
たり恋をしたりするが、その言語は何か,これも明らかでない。
ただ作中の通信社や新聞社が全て英語だから、世界共通語は英語
となったとみるしかない。世界連邦の名称はRU、リパブリック・
ユニオンだ。でも20世紀の英語でも最低、 Union of Republicでな
ければなるまい。ベートーヴェンをヴェットォヴェン、これは奇
妙。

 しかし未来小説というには、作者のその基本知識にあまりに難
があるようで、空想で社会を構成のそれなりの論理的思考力も、
ほぼ見られない。風刺もジョナサン・スイフトのようには到底、
いかない。

 作者、石川達三は実は一年もの準備をしてこの小説を書いたと
いうが、そんな苦心のカケラも見いだしがたい。あとがきで「政治
経済科学文化のあらゆる部門の知識を必要とするのだが、到底、私
の浅学では書き遂げることは出来なかった」とは自らの批評が図星
だろうか。

 最後に「職業作家は今世紀で終わりそうな気がする」ならこの時
点でも後半世紀は職業作家は大丈夫、ということだろうから、この
皮肉だけが実はいちばん面白い。

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