母校(岡山県立矢掛高校)が統廃合され、廃校になる可能性。街の急速な人口減少と高齢化。高齢化率44.8%(2023年)
実はJR西日本は岡山県下のJRの駅を次々と無人化し、「
みどりの窓口」も減らし、わずか4駅にのみ「みどりの窓口」
が残るという決定がなされた。岡山市の岡山駅、高島駅と倉敷
市の倉敷駅、新倉敷駅のみ、JR西は最終的に「みどりの窓口」
を100か所まで減らすという。JR西は営業範囲は北陸信越まで
及ぶから、にしても岡山県が「みどりの窓口」わずか4か所と
は少ない。・・・・・・・これは高校統廃合の問題と絡み合う
ような気がする。・・・・・これが県立高校の統廃合とどう関
係?
実はJR西日本は岡山県では岡山市と倉敷市以外、いかなる意
味でも「評価すべき市」はない、もちろん町もない、と考えた
わけである。岡山県でまず人口が減らないのは岡山市、倉敷市
だけ、総社市もギリギリだが、JR西は評価しない。「岡山と倉
敷意外はすべて雑魚以下」らしい。・・・・・つまり岡山市と
倉敷市のみまともな人口規模、維持ということなのである。総
社市は枠外である。
実はもう十数年前、矢掛町は嶋山教育長らを中心に「矢掛高校
存続協議会」なる組織を立ち上げていた。まだそのころ、人口、
高齢化率も現在よりはマシであったはずだが、そもそも2015年
の高齢化率は37.0%なのである。それが2023年に44.8%、だから
今年はもう46%以上だろうか。凄まじい高齢化、さらに昨年の、
2023年の人口は1.32万人。私が小学生、いや中学生時代でも岡山
県内の「町」では最大の人口を誇っていたのである。実際、街は
賑わっていた、遠くからも買い物客、長い充実した商店街、地元
のひと、溢れんばかりの小中高生、ちょっと歩くのに苦労?する
くらいの人出だった。小6の時、埼玉県草加市にいって、そのあま
の侘しい街並み、には唖然とした。矢掛町の華やかな活気と商店
街の素晴らしさ、とかくと大袈裟なようだが、事実、賑い、活況
はすごかった、日本の戦後は商店街の時代、その典型だった。
だが著しい人口減少、高齢化は日本津々浦々の共通の事象で
あり、笠岡市は1960年は76000人、農村部の新山村でさえにぎや
かだった。今は4.5万人、だが兵庫県の西端近い相生市、かって
は世界最大クラスの造船所があり、繁栄を謳歌したが昨年の人
口は僅か2.5万人、新幹線停車駅がある。
それも過ぎ去った、観光に活路で土日祝などは観光客で商店街
は賑う、ただしかっての本来の業務で営業している商店はほとん
ど少ない、銘菓、煎餅、飲食店、旅館、それと歯科医院とか銀行
とか、観光以外の人は見ない、まして小中高生はお目にかかれな
い。少子化でもゼロではないはずだが、姿を見ない。
さて現状は人口1.3万、高齢化率、は45%以上、これでは県立高
校維持は至難である。さらにますます人口は減少、高齢化率も上昇
、破滅的に少子化は進む、県立高校維持は学区を広げないいと、で
高梁高校、和気閑谷などとともに県立六高校が全県学区に、矢掛高
校も、だが、流れが逆流とは考えにくい。若者は基本全て出ていく。
公務員に採用されたら、くらいだろう。農業もゼロではないが、望
み薄。商店は例外以外は成り立たない。
矢掛高校が統合され、廃校となるとしたら何処の高校?総社は遠
すぎる、笠岡高校、井原高校、鴨方高校、で県立旧制中学創立は岡
山一中、津山中学、高梁中学、岡山二中に続く5番目の創立。実は
笠岡市に5番目の旧制中学が設置の予定が急遽、矢掛に、笠岡は仕
方なく笠岡商業に変え、創立、だから矢掛高校と笠岡商業は同じ年
に創立である。・・・・・矢掛のような田舎に、だがそれもついに
無理が来ているという状況だろう。なお倉敷市、現在の合併した
大倉敷市のエリアにも県立旧制中学は設置されず、私立の旧制中学
で天城中学があったに過ぎない。戦後、天城は県立に移管されたが、
教育の点でいかに矢掛が破格の措置を受けていたか、だが、それが
もはや命運が尽きる寸前なのである。伝統校で県教委もそれなりに
重視はしてくれた、は昔語りというほかない。余談だが横溝正史の
御子息の横溝亮一さん、府立十中、今の都立西高校に在籍だったが
、現在の真備町岡田字桜に一家で疎開転入、岡山一中か二中を希望
したが、学区外で入れない、倉敷市には県立旧制中学がない。そこ
で自転車で矢掛中学まで通学されたのだが、休みに倉敷に行ったと
きは天城の不良生徒とよく喧嘩されたそうだ。
廃校になってくれたら、私の心の傷の原点、矢掛高校が地上から
消えるで、ひとつ救いである。卒業証書も学校に廃棄されるという
屈辱、「できたら消えてほしい」歪んだ考えだが、私の偽らざる本
音かもしれない。記憶は消えないが。
この記事へのコメント
矢掛高校は、笠岡市の説明会で井笠地区の少子化が県下でも一番進んでいる。この時、矢掛から説明会に参加した人は私のほかに町議2名のみ。
その後に矢掛町で矢掛高校存続問題が発生し、山野町長は「矢掛高校存続会議は設立が遅かった」と今更ながらに言いました。
それまでの校長は危機感を募らせ「矢掛商業高校跡地を寄宿舎にして成羽・川上町の生徒を集めよう」と提案されましたが、矢掛町は聞く耳を持たず今日に至った次第です。
今年、町役場内に存続委員会ができ私に協力の依頼がありましたが、断りました。10年以上遅いんだよ。