石坂洋次郎『白い橋』恋愛講義のような内容だが非常に好色な内容でインモラル
石坂洋次郎、人気作家だった、1900年生まれ、青森県出身、
慶応大国文科卒、青森、秋田県下の中学、女学校の教員を務
めた。戦前『若い人』で文壇デビュー、その昭和31年、1956
年の作品、1947年に『石中先生行状記』を発表しているが、
この『白い橋』、たしかに小説には違いない。五十すぎの夫婦
に二人の娘がいる。妹は積極的ですでに婚約者がいる。姉は逆
に奥手で純情、恋愛にも消極的、という設定だ。この奥手の姉
が恋愛教育をされて、一人の男を完璧につかまえるまでの話、
といえる。
姉は「アンドレ・ジイドや堀辰雄の心酔者である」というが、
このような姉に妹が「いろいろ面白くもない現象で満たされて
いる今日の日本に、アンドレ・ジイドなどが描いたような形式
的な一等品の恋愛が生まれるわけないじゃないの。あれば、そ
れは厳しい現実から逃避して阿片くさい幻覚におぼれているよ
うなものだと思うわ」という。何だか、若い娘が口にするような
言葉ではない。
こんな小娘が言うはずもない説教じみた言葉は、石中先生の
説教であり、恋愛講義の第一章第一節である。姉は好きになり
そうな男を見つけても、さっぱり進行できない。母親が、石中
か、石坂洋次郎のように、ものわかりがよく、恋愛をけしかけ
る。
母親は「抱いたり、接吻してもらってるうちに好きになりだ
します。肉体の接触が喜びの土台になって、その上にいろんな
花を咲かせる。使わないナイフは錆びやすいというけれど、お
前のそういう方面の神経はだいぶん錆びついているわ」
こんなアホらしいことを云う母親がいるとは考ええにくい、
がそこは石坂洋次郎だ。
そこで姉は、錆びたナイフを研ぐつもりで、男の家に行って
実体験を行うが、男の正体がはっきりせず、不安になる。男は
「僕を動物的に夢中にさせようと云うなら、それがあなたの体
から伝わって来ないんです。それどころか、僕への軽蔑さえ感
じる」・・・・・。こんなことを云う男がいるはずはない。
しかし、その男が、他人の美人の妻から恋を打ちあけられ、
男も浮気心をそそられている、と知ると彼女は俄然、積極的に
なる。略奪されるのを待っていたが、こちらから略奪する、の
だ。「よその女に魅力を感じるような人に悪い人はいない。し
かし、私にはあの男が必要なのだ。
彼女の父親は妻以外に女は知らないようだが、このままで
終わるのはつまらない生涯のような気がして、自分が雇用し
ている「未亡人同様」な女に魅力を感じている。未亡人同様
とはその夫が戦争で不能になっているかあrである。この不
能の夫が「チャタレイ夫人の恋人」を読んで奇特にも妻に
「チャタレイ夫人の恋人」を勧めた。
「チャタレイ夫人がい体の使用人と情交を結んでいるくせ
に、夫人には不能の夫はぜひとも必要で、夫も妻の存在は絶対
必要とまた考え、結局、いい塩梅の関係になる」夫がそうだか
ら、浮気の妻もあまり無軌道にはなれないという。
石中先生の意見はこうだ。
「生活の中心となるものを心得、それを中心に生活するな
ら、カタルシスの浮気などは咎めるべきではない。」
小説の登場人物は全く物わかりの良い石中先生の説教に納得
し、それでよしとする。
三島由紀夫の、つまり平岡公威の東大法時代の同級、学籍番
号が一番前だった英米法の早川武夫先生、東大文を卒後の法学
部再入学だった。早川先生、三島文学を全然評価していなかっ
た。
「私だって文学部は出ている。三島など、やれ舞踏会とか切腹
とか、あんなものが文学であるはずはない。せいぜい石坂洋次郎
レベルの文学だ」まあ、その比喩も納得である。
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