映画『天井桟敷』 Les Enfant du Paradisは本当に「名画」なのか?名優の陳列、顔見世絵巻物に終始、とりとめがなさ過ぎる

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日本で「世界名画ベスト100」などを作れば、まず第二次大戦
の最中、1943年から1945年にかけてフランスのパリで制作され
た邦題『天井桟敷の人々』原題、Les Enfant du Paradis,・・・
はれ、この邦題はどうだろうか?「天井桟敷」とは劇場の天井
に近い最後方でもある観客席、で料金の最も安い席である。原
題の意味だがごく字義通りなら「楽園の子供たち」だが、その
移動した意味として「芝居好きの人たち」くらいだろうか。

 とにかく映画の名声が高すぎる。でも「つまらない」という
意見もかなりある。まず、映画としてのガッチリした構成上の
骨格がないのは紛れもない事実だろう。名優によるお話の羅列
、ナチス占領下の制約下ならではの絵巻物に終わっている。

 ともかく3時間半を超える大作だ。時期はドイツ軍占領下の
フランス、パリである。あの時代状況でこれ、は作っただけで
も偉業である。戦争を匂わせる内容は全くない。マリセル・カル
ネ監督はジャック・プレヴェルの脚本をそれまで多用してきた。
この映画でもそうだ。

 前後2部からなり、「犯罪大通り」と「白い男」である。

 前篇の「犯罪大通り」は19世紀中頃のパリの下層の歓楽街、
芝居小屋や見世物小屋の並ぶ風俗が展開する。後編の「白い男」
もその街に生活する役者たちの恋や嫉妬、舞台の話で殺人もあ
る。全体的な作風はバルザック式の絵巻物、絵模様とでいうべ
きで登場人物は確かにうごめくが主要人物の6名、それぞれが
、まさしく名優キャストであり、この映画の魅力は名優たちを
ものの見事に取り揃えていることに尽きると思える。

 では、だが最も傑出した人物はガランス(アルレッティ)という
あだっぽい鉄火女の芸人で、それに恋するパントマイム役者のピ
エロになるバチスト(ジャン・ルイ・バロオ)、その後、その妻と
なるナタリ(マリア・カザレス)、さらにガランスの情夫である悪
党のラスネエル(マリセル・エラン)。ガランスへの感情は複雑だ。
金力と権力でガランスを手に入れる「伯爵」のルイ・サルウ、
夢想的で陰気なバチストとは対照的な厚かましい役者のルメエル
トルにはピエール・ブラッスウルが扮する。

 発端は「犯罪大通り」の風俗描写から入り、パントマイム専門
のフェナンビュル座の呼び込み台の前で見物していたガランス(
アルレッティ)はスリの嫌疑をかけられ、客寄せを行っていたバチ
ストが巧みなパントマイムでガランスの無実を証明する。ここで
のバロオの演技がまたいいのだ。

 そこでガランス(アルレッティ)は感謝のしるしにと薔薇の花を一
輪を投げて去っていく。

 ガランスは同じ日に自信家で女たらしのルメエトルに路上で図々
しくナンパされようとする。だが、この二人の会話が味があって、
ガランスは見事にルメエトルに肘鉄を食わせる。

 ガランスは安物芝居で半裸になることもある芸人であり、実はし
たたか者だが、その夜、酒場でまたバチストと踊った。悪党のラス
ネエルは子分にその邪魔をさせるが、男女、ガランスとバチストは
逃れてバチストの下宿で一夜を過ごす。恋に燃えたが純情な男は、
その夜、実は何もなく、去るが、入れ替わりに隣室にいたルメエト
ルがはいってきて、あっさり口説いていっしょに寝る。これも上手
く描かないと下品に見えるだけだが、なんというのか、さらりと知
的に垢抜けた描写、表現。ガランスはすぐ男と寝るくせに、他方で
後半、第二部でわかるのだが、いつまでもバチストが忘れられない、
という恋愛精神も秘めている。要するにアルレッティの演技力がそ
れを見事に表現している、というほかはない。本当にベストなキャ
ストだったのだが、エロっぽさが非常に希薄で、正直、もっとそれ
らしく演技したらガランスの魅力がなお増したのではないだろうか。
このシーンでもバチストの舞台のみならず人生のピエロ役、という
性格がよく出ている。

 フュナンビュル座の立役者が二人辞める騒ぎがあり、運よくルメ
エトルも雇われ、バチストもピエロとなって舞台を踏む。この映画
でバチストのパントマイム演技の時間がかなり長く取られているが、
実はこれはこの映画の中の白眉でもある。失業状態のガランスもバ
チスとの世話で一座の一員となる。人気の出たガランスは伯爵から
口説かれるが、これを撥ねつける楽屋でのシーンがサルウの演技力
で実にいい。ラネスエルは子分とともに、銀行の集金人をガランス
名義で借りた下宿の部屋に呼び寄せ、大金の奪取を図って失敗、逃
亡する。ガランスは共犯の疑いをかけられ、進退窮まるが、伯爵の
名刺を使って窮地を脱する。ここで前編が終わる。構成力が乏しい、
との批判もあるこの映画だが前篇はなかなか構成もしっかりしてい
る。逆に後篇は散漫に堕している。

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 後編「白い男」はそれから数年後の話という設定。

 ルメエトルはグラン・テアトルでパリ中の人気を集め、大金を浪
費し、女遊びをしていたが、劇作家とトラブって決闘を行い、負傷
し、仕事を休んだりする。バチストは前編にも出た純情で意思の強い
女優ナタリーと結婚、一児をて、フュナンビュル座の花形となって
いる。伯爵の持ち物となり、貴婦人然として栄華を極めるガランス
はパリに戻り、バチストを忘れかねて芝居小屋に通う。そこで、偶
然、芝居小屋にきていたルメエトルに出会う。彼はガランスの栄華
に嫉妬を感じ、いたずら心も手伝ってバチストの居場所を教えた。
バチストの妻のナタリは素早くそれを察知し、幼い息子を桟敷にや
って、平和を乱さぬよう懇願する。バチストが駆けつけたときは、
もうガランスはいなかった。彼は悄然として芝居を休み、思い出の
下宿に閉じこもる。

 他方、ラスエネルもパリに戻って伯爵邸を訪れ、ガランスは実は
伯爵を愛していないと知った。伯爵に出会い、憎しみを感じた。ル
メエトルは「オセロ」を上演し、成功するが、これを見に行った伯
爵はガランスと彼の関係を疑い、仲間とともに廊下で演劇論をふっ
かけ、嘲笑する。そのとき、ラスエネルが現れ、カーテンを引くと
露台ではバチストとガランスが抱擁していた。極めつけの濡れ場で
ある。ラスネエルは伯爵に報復したわけだが、その後、伯爵がトル
コに入浴中、襲撃し、刺し殺す。このシーンはその子分が目撃して
驚くという間接的描写で巧みに迫真のシーンを表している。だが、
この映画で一貫してラスネエルの心理は不可解でリアリティの欠落
を招いていると思える。

 6年ぶりの出会いのガランスとバチストは思い出の下宿部屋で一
夜を過ごす。だが、たまたまナタリが子どもを連れて訪れ、真っ向
から厳しく抗議したので、ガランスは決然と去る。それが折から
カーニヴァル祝祭日、その雑踏の中に消えてゆくガランス、激しく
呼び止めるバチストなのだ。この雑踏は前編の冒頭の雑踏に呼応す
るようだ。

 ・・・・・・で、「天井桟敷の人々」どうだろうか、3時間半だ
がことさら退屈でもない。だが、いかにも、とりとめがないという
印象は拭えそうもない。通常の人情、感情によりかからず、理知と
いうのか、そのコンセプトは貫徹して入るだろう。芝居に生きる人
々の人間喜劇を見下ろしているような、品格は高いと思うが、では
映画として「名画」、傑作とい云えるようなものとはちょっと思え
ない。魅力は名だたる俳優、つまり名優の勢揃いによる絵巻物と
云うことでそれは同時に映画の弱点でもある。アルレッティは主役
であり、文句はないがマリア・カザレスもいい。エスプリ、品格は
本当に高い、だが絵巻物すぎるのだ。近代的リアリズムとは無縁だ。
ただ占領下でアピール性のある骨太の映画は作れなかった、絵巻物
はその結果と思うしかない。


ガランスを雑踏の中、探すバチスタ ラストシーン

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この記事へのコメント

アカサ
2024年11月04日 00:22
お疲れ様です。
素晴らしいご解説をありがとうございました。
先生のご博識ぶりに改めて驚きました。