人間は迷っている限り努力するものである、「努力する限り迷う」は正確ではない

申すまでもなくドイツ語の格言、確かドイツ文法、入門的な
文法書に例文で出ていたので印象に残っている。でも、この
「努力する限り迷う」は正直、お仕着せがましいと感じてしま
う。そういう要素がないとも云わないが、実際は「人間は努力
してもしなくても迷うもの」というのが余程、真実に近いだろ
う。「努力している限り迷う」は何か「努力は尊い」と怠惰を
戒めているかのようだ。
だが、その逆を考えたらどうだろうか。「人間は迷っている
限り努力する」。「人間は迷わなければ努力しない」・・・・・
何か言葉の遊戯のようでもあるが、実はここに深い意味が秘め
られている。迷い、広義の生きる悩み、苦しみと云ってよいと思
うが、それらは生きること自体に根ざしている、何もとりたてて
行いをなさずとも、生きているだけで悩みは湧き上がる、という
ことだ。しかも努力が実利的なもの出れば迷いも俗なものとなる
ことが多いが、生きること自体に根ざす悩みは人生の本質に迫る
ことがおおい。無念無想のなかにこそ、生きることの悩みの真髄
が潜む。
さらに云うならば「努力する」の意味である。生きることに悩み
が潜む、その悩みから発する行為、それこそが「努力」の名に値す
るということである。生きることが不条理に翻弄されるものである
以上、個々に異なる人生を説明できるはずはない。すべての価値は
生きていること自体に帰す以外にない。
努力とは別に受験勉強とか資格試験とか営業成績を上げることな
ど実利的なものは、実は努力とは生きることに発する内面の格闘を
云うと私は信じている。生きていること自体が不条理であり、その
あり方自体が迷い、悩みである。そこから必ずおのずから生じる、
心というのか、感受性のあり方、が生きることに融合する。・・・
・・・・・。どこまで生きるのやら、すべては幻影、かもしれない。
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