日高路子『アメリカひとりぼっち』1959,日高パーティーの日高孝次教授の娘、型破りで性的記述がやたら多い
ふと手にした古書である。日高路子といってこの本だけで?
知られている気がする。日高孝次は日本海洋物理学者であるが、
何よりも「日高パーティー」で知られていた。三度の結婚、結核
で亡くなった二番目の妻の娘だと思う。
日高路子1935年10月24日、生まれ。学習院初等科、中等科に
学び、高等科二年で中退し、アメリカの大学に赴任の父とともに
渡米、スティーヴン・F・オースティン・ハイスクール入学した。
1954年5月に卒業、・・・・・・とある。
第一章は「渡米まで」だが冒頭の文章からちょっと、?である。
「私が七歳のとき、産みの母は肺結核で他界した。そのせい
もあるのだが、わたしは幼児からひどくおませで勝ち気であった」
なのだが、産みの母が早く亡くなると、なぜ「おませ」になるの
だろうか? 実は「渡米まで」が面白い。身の上話であるが、ちょ
っと東大の偉い先生の娘とは思えない感じだ。
「時節柄、当然だが、わたしは十代の初期を、戦争のため、精神
的、肉体的、物質的な苦労のし続けだった。1945年3月10日の大空
襲に懲りた私たち親子は、長野県岩村田に疎開した。それから5ヶ月
そこそこで終戦を迎えた。・・・・・疎開地での苦労は、ほとんど
死苦といっていいほど涙ぐましいものだった。・・・鶏は餌がなく
、卵はめったに産まず、あたしがエサとなる蛙、イナゴ、ミミズな
どの捕獲係となった。これを鶏に食べさせると現金なもので、翌日
には卵を生んだ」
「小学五年のとき、私は学習院女子部中等科に入れられ、高等科
二年まで同じ校舎で過ごした。私は極端な勉強嫌いだった。・・・
徹頭徹尾、不勉強で父母をはらはらさせた・・・・・」
要するに生真面目な人がこの本を読めば反感を持ちそうだが、私
のようなものが読むと実に面白い。
「私は十六歳で学習院高等科に、学校から帰宅すると、いちはや
くおしろいで化粧し、パーティーに行っては恋愛論などを振り回し
た」
型破りで奔放な娘だった。その娘が父親について渡米し、アメリ
カのハイスクールに行ったらどうなったか?なのだ。
父の日高孝次がテキサス州の大学へ一年の予定で行くことになっ
て、それを機会に貧困の日本を脱出、テキサスの田舎に滞在するこ
ととなった。その時、路子は17歳、そのい町のハイスクールに入学
させられた。だが入っても英語がそもそもほとんど出来ないのだ。
だから一人の生徒としてではなく、外国からのお客様として預かっ
てもらう、ということとなった。だが一年で両親は帰国することに、
路子だけがテキサスに残る羽目になった。学習院を別に中退して行っ
たわけではなく、休学ということだった。だが休学で日本に戻れば、
留年したことになる。それはシャクだというので路子はアメリかに
残った。テキサスのハイスクールならお客様でももう一年で卒業扱
いにされるからでああった。
メインの内容はその二年間の生活の記述だ。内容は路子が見た男女
の性的な事案ばかりといって過言ではない。
つまり路子によればアメリカの高校生など勉強はろくせず、ひたす
ら性のことに没頭し、関心はすべてセックスということらしい。別に
誇張ではなく、そうなのであろう。路子が滞在していた町にも日本か
らの戦争花嫁が二人いた。路子はこの二人とさかんに行き来したよう
だ。サラとシズという女性だった。
「定見がなく、無知蒙昧であり、その上に、もと売春婦だったので
はないか、との理由でサラはシズを蔑み、極端や優越感を彼女に抱い
ていた。お人好しなシズに味方した。シズは私には猥談は聞かせても
サラのように他人を誹謗するようなことはなかった」
「いつだったか、サラからこんな話を聞いた。シズの夫のジョーが
シズをだまして、若いブロンドの女の子を性的交渉の目的でデイトに
誘ったが、その娘が生理中で目的を達成できなかった。女の子に頼ま
れてジョーは生理用品を薬局で買い求めていいたら、そこをサラの夫
が見た。話のあらましをいったサラが『シズには内緒にしましょうよ』
」
ふつうアメリカに「留学」したことになっている女性は、こんなこ
とは本に書かないものだが、非常に路子は興味津々という風情だ。
とにかく、一人残り、ハイスクールを出た路子は、まさにアメリカ
を満喫して楽しかった、ということだ。早くから「日高パーティー」
に出て男女のことに目覚めていた影響だろうか、ともあれ、ユニーク
な本ではある。
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