「風土記事件」1958年、島村直子の「私の葛西風土記」(文部大臣賞)が巻き起こした脅迫、村八分事件
大阪書籍の中学国語教科書に島村直子「大東京村、ー私の
葛西風土記」が掲載されていたことは前に述べた。この掲載
は多分、1960年からだと思う。中学二年国語教科書だったが、
その後、1966年からは、これに代わり、中学国語一年の教科
書い弟の島村典孝の「小倉城物語」が掲載され始めた。いず
れも中学時代の「作文」だというから、国語教師の指導よろ
しきを得たにせよ、驚歎すべきれべるだ。それ以外の作文も
、典孝が読後感想文「ぼくも負けない」で昭和32年の総理大
臣賞、姉の直子が亀井勝一郎のエッセイの感想文で毎日新聞
賞、さらに同年、島村直子は「大東京村、ー私の葛西風土記」
で読売新聞綴方コンクール、総理大臣賞、とちょっと、凄ま
じい受賞ラッシュとなって島村直子・島村典孝の姉妹の勇名
は全国に轟いた、・・・・・のである。1950年、昭和25年に
直子6歳、典孝2歳で小倉から一家で東京に夜逃げ同然で出
てしばらくホームレス生活、その後は何とか都営住宅に入居
だったが生活保護、日本全体が圧倒的に貧しかった時代とは
いえ、その境遇での、あの姉妹の文筆の才能は、・・・・・
だったが、成人後の活動が見当たらない。島村直子も貧しさ
ゆえ、高校も定時制だったというが、どうか。
だが、ここで問題は島村直子の「私の葛西風土記」が惹き
起こした意外な事件である。大阪書籍収録の「葛西風土記」
はもとの内容の半分程度である。
この顛末は島村典孝『ひげの天使』の中の文章に述べられ
ている。
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(中学)一年の秋、姉(島村直子)は読売新聞(綴方)コ
ンクールに応募、最優秀の文部大臣賞を受賞した。その長い
作文の一部は読売新聞紙上に掲載されたが、そこで僕たちの
住んでいるこの葛西という土地に残っている、間違った封建
的なものを正面から見つめ、それに抗議した箇所があった。
それがどのような内容かは長くなるのでここで書く余裕は
ないが、とにかく、それが土地の有力者や顔役には気に入ら
ず、僕の家族を村八分にして、姉を愚連隊に殴らせるとか、
言い出した者まで出た。
それはすぐ学校の先生の耳に入り、小学校からずっと姉の
指導を続けていた森先生が心配し、僕の家に駆けつけてきた。
先生の話を聞いて父は静かに
「もし直子の書いたことにウソがあるなら、親として申し
わけなく思い、どんなおわびでもいたします。でもそれが真
実のことを書いていたなら、それに対して子どもの批判の目
もあって当然でしょう。とにかく直子に尋ねてみます」
そして姉を呼び、その確認をすると、姉はいつになく真剣
な顔をして、
「私は一行もウソは書いていません。事実をそのまま書い
て、それが気に入らず私を殴るというなら、殴ってもらって
かまいません。間違ったことを、そのまま見過ごしていたら、
いつまでたっても、この土地に進歩はないじゃないですか。
私は間違ったことを書いたと思いませんので、たとえ殺され
ようと降参しません」
ときっぱり言った。森先生も安心し、
「よし、それだけ聞けばいい。私が全責任を持つ」
と言われた。先生が帰ったあと、父が母にそっと
「いつのまにか、直子がもうこんなことを言うようになっ
たんだな。それにしても見かけより気丈で安心したよ」
学校ではすぐに職員会議が開かれ、そんな脅しや暴力から
子どもたちを守らなければいけない、と先生方の意見は一致
したという。姉の友達からも、姉の書いたことの正しさを証
言してくれる、とう友達も現れた。
新聞社の人も駆けつけてくれた。
姉はいつもの穏やか口調で
「間違ったことを書いたとは思っておりませんから、平気で
す。書いたことの事実の有無について何も言わず、気に入らな
いから暴力を振るうと脅すのは、本当に卑怯だと思います」
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ちょっと今では考えにくい、中学生で毅然たる態度、それ
を守ろうとする親、教師たち、立派だと思う。これだけの姉、
島村直子も全日制高校はあきらめ、定時制高校に進んだとい
うのである。・・・・・・高校以後、どうされたのだろうか。
1944年、昭和19年6月のお生まれだから、ご存命なら今年で
80歳であるが、・・・・・。典孝さんは児玉隆也になり得た
人だと思うが、・・・・・。
では「葛西風土記」のどの部分が、気に障ったのだろうか。
全文は『ぼくらも・まけない』に収録されている。
「どうかした場合にあらわれるこの土地の人の言葉や動き
見ていると、その人たちが大事にしている考え方の根本には、
自分の損になることはすまい、ということであるらしい。そ
のために決して、地位のある人、力のある人にたてつくまい、
なるべく、うまく立ち回って、憎まれないようにしよう、と
いうことが生活の根本の考え方のように見える。だから、な
にか地位や役にある人は、自分が何か偉くなった気になって、
こっけいなほど威張るし、また一般の人はそんな人の前で、
必要以上ぺこぺこする。そして自分より下の者、弱い者に
足しては冷たい白い目で見て、自分とものの考え方が合わな
い人たちの立場、考え方を理解しようとしない。関係のない
他人の生活が気になって、もしその人が自分より一だん上の
生活をしているとか、すぐれているとかすると、しゃくに
さわったのか、悪口を言いふらし、自分よりしたの生活をす
る者をさげすみ、陰口をいう。・・・・・」
ちょっとここはやや幼い感じの文章だと思うが、その正義
感、まっすぐな心がよく出ていると思う。これ以外にもお祭
りにまつわる封建制を批判した文章もある。
・・・・・あれからでも長い月日が過ぎた、ということか。
「風土記事件」は私でも保育園に入った年である。
昭和30年すぎの江戸川区葛西地区
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