永松定『田舎ぐらし』1956,自らの文学の歩みの感傷的な私小説
永松定、1904~1985,この名前を知っているとしたら、
相当の好事家だろう。全く無名なようだが、実はなかなかの
文学キャリアを持っている。その作品、1956年『田舎住まい』
の古書は上林暁、伊藤整の序文、跋文である。第五高等学校か
ら東京帝大英文学科、在学中から上林暁らと同人誌『風車』を
発刊、1930年、伊藤整などとともに『ユリシーズ』の翻訳を行
った。熊本に戻って戦後は熊本女子大教授。
1930年代のはじめに熊本に帰郷、そこから『田舎ずまい』と
いうタイトルである。別に熊本に戻ってからの生活ばかり書い
ているわけではない。文学キャリアの発端から始まっている。
大学在学中から作家として生きる気持ちもあって上林暁らと
『同人誌』を出したが、思うにまかせない。作家として生きる
つもりで仕事もやめて、いざ、机の前に座って原稿用紙に作品
を、だが現実は毎日の生活は街に繰り出して友人たちと酒を飲
み、文学を論じる日々である。現実に作品として仕上げるには
至らない。構想はあるのだが。そこから文学ノイローゼが生ま
れる。
作家を同時に志した者は何人もいるが、徐々に断念組が出て
くる。生活も窮乏してくる。故郷に戻る者も少なくない。著者
も追い詰められているという感情に襲われてくる。
そうこうしていると満州事変から日中戦争。著者がどうしよ
うもない作家になりきれない状態からの脱出の機会、口実が与
えられる。友人にも知らせず、妻と郷里の熊本に逃げ帰る。そ
こには母と妹、妹の亭主と子供、著者夫婦は居候の居心地の悪
さに襲われる。やがて妻が逃げ出し、実家に戻る。さりとて迎
えに行く生活力がない。なんとか旧制中学の教員の職があった。
そこで妻を迎えに行くと妻とその母から激しい罵詈雑言。
戦後は地元の女子大の英文学教授のポストを得て安定した
永松定だが、それまでは悪戦苦闘である。筆致は感傷的だ。
上林暁譲り?の私小説的な作品だ。だが骨太さは微塵もない。
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