劇作家、加藤道夫はなぜ死んだ?『なよたけ』、『襤褸と宝石』などにみる理想と現実の乖離
戯曲、『なよたけ』で知られる劇作家の加藤道夫は昭和28年、
1953年12月22日に自ら命を絶った。1918~1953,享年35歳であ
った。『なよたけ』は昭和18年の作品である。
昭和18年、1943年に書かれた『なよたけ』は王朝時代に舞台
を取り、竹取物語の「かぐや姫」と石上文麻呂がこの世では成
就しない恋を幻想の中に溶け込ましたようなものだ。戦後発表
され、昭和23年に第一回の水上瀧太郎賞(三田文学賞)を受賞
した。
この作品の美しさは、人間の記憶の中にある思い出が現実の
苦しみ、どぎつさを柔らかく包んでいるとうのかどうか。加藤
道夫の作品はまず過去の記憶、思い出が軸となっている。
例えば昭和23年、1948年に書かれた『挿話』では南海の孤島
で敗戦を迎えた日本軍の将軍がわけもなく斬り殺した原住民の
亡霊にに苛まれ、ついに故国の記憶をなくし、原住民と生活す
るようになる、・・・・・という話が其処にいた通訳の思い出
として語られる。
昭和26年、1951年に発表された『思い出を売る男』では、一
人の男が、一人の男がサキソフォンとオルゴールを鳴らしながら
街角に立って、通りかかる人に一回100円で思い出を売る。花売
り娘、広告屋、街の女、GI、乞食などが次々と登場し、音楽や詩
で語りかけられるままに、思い出を呼び起こされ、幸福の夢に浸
ることが出来る。最後にあらわれる戦争で記憶喪失となり、思い
出の終わり、景観の話をもまだ未定である。
昭和27年、1952年芸術祭参加作品として書かれ、俳優座でも上
演【梵論と宝石】は川を隔てて、バタヤ部落と次の世代に記憶の種
をやめる。だが結果はキャハバレー経営者に利用されしまう。実は
経営者たちは早た部落をも買収し、歓楽街にしようと考えている。
ロメオは殺され、ジュリエットは元の記憶喪失となる。
このような記憶、思い出への異常な執着はなんだろうか。加藤道
夫は東大理学部長だった加藤武夫の三男として生まれた。慶応大学
在学中から演劇に情熱を燃やしていた。昭和15年、1940年に芥川比
呂志演出のヴィルドラッグの「商船テナシティ」を英語で試演した
り、新劇研究会を創設していた。昭和19年、いつ赤紙が来るかわか
らない時期に、置き土産のように『なよたけ』を書き上げ、陸軍の
通訳として南方に向かった。マニラ、ハルマヘラ島を経て東部ニュー
ギニアにたどりつた時、そこは筆舌に尽くせない死苦の場所であっ
た。空襲、補給の途絶、やがて芋さえ作れなくなった。飢餓とマラ
リアで死に瀕した。
そうした状況でのむき出しの人間の欲望、感情、抗争、裏切りな
どは『なよたけ』の作者の感情を極限まで傷つけた。過去の記憶は
現実を包むヴェールであると同時に、悪魔でもあり得た、それは
「人間喪失」だった。
証言もある。飯沢匡は「彼は非常に秀才で勉強家だった。いつも
優等生でなけれあならなかった。昭和28年9月末、ユネスコの留学
試験でイギリスに留学する考えだったが、それが叶わず、非常に
落胆していた」とある。
堀田善衛は「非常に内省的で稀に見る素直で純粋な人だった。あ
れほど演劇に打ち込んだのは、内省型の精神に貯まったものが演劇
という具体的な形に形として現れたのではないか。カミュ、アルト
ルを訳しているが、彼の世界はジロドウ的だと思う。現実的なもの
とファンタジー的なものを統一しようとした作品もある。」
千田是也は「本当に純粋な人だった。学識もある人あった。どこ
までも突き詰めていこうとした。現実から離れた先に理想を求めよ
うとした」
劇作家、加藤道夫だが昭和28年11月にラジオ東京から放送された
横光利一『旅愁』連続ラジオドラマ、の久慈役をやった。もと東宝
女優の夫人も久慈の恋人役で出演していた。加藤道夫の久慈は人気
があった。それ以前、文学座の舞台に三度立っている。黒澤明『生
きる』の冒頭、説明役をしている。『七人の侍』でも侍の一人、五
郎兵衛役を依頼されたほどだった。
ともかく加藤道夫は昭和28年12月22日、夜8時過ぎ、自宅玄関横
の書斎で自殺を遂げた。夫人が文学座のアトリエ公演を見て11時過
ぎに帰宅した時、きちんと整理された書斎に花を飾り、柱に紐をか
け、静かに腰掛けた姿勢で死んでいた。文学座演出部員であり、慶
応、明治の講師も行っていた。
加藤道夫の言葉にこういものがあった。
「二つの世界がある。一方はみじめなもの、無気力で淀んだ世界
だ。もう一方は景気の良い、無反省な、華美と虚栄の世界だ。垣間
見た、東京の実態は、すべてこの二つの世界の不条理な反映でしか
ない」
しかし詩心がいたずらに空転は『なよたけ』、『襤褸(ぼろ)と
宝石』、『挿話』に顕著だろう。円熟とは生涯無縁だった。『なよ
たけ』で文麻呂のいう「こんあ汚れ多い、都会の生活はもうお前の
ような正直な男には用はない。大切なのは孤独ということだ」、そ
の十年後の自死も語っているようでもあつのだが。
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